岡田夫妻の山だより

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平成24年9月22日(土)

今日は母が亡くなって初彼岸です。
5月27日(土)に市内老健施設で肺炎のため94歳の生涯を閉じました。前日に父の13回忌の法要を行い、姉二人は帰りに施設に見舞い、言葉を交わせたのは、いくらかの慰めでした。翌、早朝に様態急変の知らせがあり、和代、娘と大急ぎで向かうも、眼、口を開くことはなく、まもなく臨終となりました。前夜、和代が施設に行った時に、一緒に行けばよかったと後悔したが後の祭りでした。病気は治るのか、最後まで聞いてくるほど意識はしっかりしていましたが、骨と皮のような身体は、全体に弱っていました。最後まで、きっと家に帰りたかったのだと思います。
告別式には多数の参列者に来ていただき、無事に済ますことができました。父母は、東京で結婚、戦災にあい、父の出身の小山に来ましたが、母は東京生まれ、育ちの江戸っ子で、にぎやかなのが大好きで、東京暮らしを夢見ていました。かなわず、たまに東京に住む妹を訪ねるのを一番の楽しみにしていました。火葬したお骨は、やせがんじょうらしく、壺一杯の量にびっくりしました。
父の戒名は耕山松養居士、コツコツと洋服仕立てを天職として一生を終えました。母は恵月文祥大姉、読めないほど、びっしり文字で、何でも綴る筆まめな人でした。この戒名は二人の、人となりを表しており、私は妙に気に入っています。

今年5月2日に初めてハローワークに行き、生まれて初めて求職の登録をしました。私に出来る仕事といえば車の運転か警備関係と思い、担当の人に求人票の出し方を教わりました。その中で、2種免許要のデイサービスの利用者送迎業務がありました。大型2種免許を持っていたので、それを生かしてみるかと思い、応募することにしました。
5月8日に小山駅前にある支店で面接を受けました。早期退職理由から職歴といろいろ聞かれました。健康診断書を提出して18日に採用決定、入社日が5月30日となりました。その後、母の告別式翌日の30日に栃木市の勤務先のセンターで雇用契約、業務概要説明、個人情報テキスト読み、そのあとテストがありました。午後にリフト車の取り扱い、車椅子取扱い等の研修があり、久しぶりの経験に緊張しました。
6月1日から出勤、第二の勤め人人生がスタートしました。週4日、朝夕合わせて3時間、主に車椅子リフト車の運転ですが、以前ハイエースを乗っていたので、運転に問題はありません。通勤で1日に栃木市まで2度往復しますが、遠いのが難点です。時給800円程度位で、わずかですが、久しぶりの給料はうれしいものでした。月半ばに翌月の出勤できない日を申告しますが、シフトが決まれば、代りがきかないのはしかたありません。
3ヶ月が過ぎて、40人くらいの利用者宅の道順も大分わかってきました。利用者と話す機会もあり、めんどうですが、慣れてきました。来春にはネパールトレッキングを予定しており、その費用をかせがねばなりません。契約期間の来年3月までは、一つの区切りであり続けるつもりです。

今月6日にホンダのフィットを購入しました。国保税、固定資産税、自動車税等の地方税が年間40万円以上で少しでも日常経費を節約したいと、この12月で満7年になるパサートを手放すことにしました。乗り心地等、性能に不満はありませんが、年金生活者には維持費がきつくなりました。下取り価格はゼロ、あちこち聞きましたが、10万キロを超えた車の価格はほとんど無いという事がわかりました。結局わずかな価格で手放すことにしました。フィットは1300cc、4輪駆動、座席を倒した時のスペースが広い、家に来ていた営業の熱心さで決めました。座り心地など難点もありますが、ナビとオーディオはDVDも使え、音質もよく、バックモニターは面白そうです。この車なら、家族中運転ができるし、新車で買うのはこれが最後、工夫して大事に乗っていこうと思います。


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平成23年12月8日(木)

10月15日(土)、16日(日)県南地区山岳協議会の集中登山を日光白根山で実施しました。
15日夜は湯元キャンプ場で懇親会、20人くらいでしたが、歓談を楽しみました。16日の登山は午前中、天気予報では雨模様、10時頃には上がる見込みなので6時に出発した。歩き出しから降ってきて、久しぶりの雨の山行でした。外山尾根を登るのは10年以上もご無沙汰で、距離の長い記憶しかありませんでしたが、雨の中の登りはただ黙々と歩くので、かえって何も考えず楽な感じ。
避難小屋に9時20分着、ここで下山のルートの意見を聞くと、皆は力が有り余っているようで、全員五色山経由との意見でした。山頂には10時55分着、相変わらず人で渋滞していました。頂上で記念写真を撮り、すこし下ったところで、他のメンバーを待ち、全パーティーが集中したところで記念写真をとりました。一応ここで解散として、会ごとの行動にしました。我らは五色山、前白根から来た道を戻りました。外山尾根の下りは急で足場も悪く、私一人が疲れて遅れ気味でしたが、やっとの思いで15時55分に湯元に到着しました。帰りは、いつもの濁り湯の温泉につかって帰りました。

10月23日(日)、少し前から、新しいカメラが欲しくなり、何にするか思案していましたがついにソニーのα77を買いました。プロ仕様ではありませんが、山旅写真家を目指す?私のアイテムとしては十分な性能を持ったカメラです。今後は私の山行に大きな目的を持たせたいと思っています。これについては山アラカルトに書こうと思います。夏に咲くはずの朝顔が10月の13日から11月の中旬まで咲きました。はじめ、葉っぱだけ伸びて、いつまでたっても咲かずあきらめていたのが、急に咲きだしました。市内に散歩に出ると、うちだけでなく、他にもけっこう咲いていました。

11月9日(水)に93歳の母が家の中で転倒しました。トイレに何とか連れて行きましたが、自分たちでは何ともならず救急車で病院に搬送してもらいました。左大腿骨頸部骨折で入院、15日(火)に手術をしました。入院時同室の4人の患者さんは年齢、怪我の内容もほぼ同じでした。気をつけてゆっくり歩けと、日頃から話していましたが、起きてしまいました。人は高齢をかさねると、足が弱くなり、歩けなくなるもの、自分にもそういう時期が必ずくると思いますが、いたしかたありません。経過は順調で、リハビリ訓練に入りましたが、少しは歩ける程度に回復してくれないと困ります、家族としては本人以上に、非常に気になるところです。

12月3日(土)小山山岳会のザイル祭を開催しました。今年は久しぶりに須賀神社参拝を計画し、集まれる会員19名で安全祈願のお祓いをしてもらいました。神殿に持ち寄ったピッケルやザイルなどこれぞという装備も並べて、お祓いをしてもらいました。お札は代表して我が家の神棚に供えさせてもらいました。登山は自己責任の世界ではありますが、神さまに山岳会の発展と会員の安全登山について、大いなるお力添えが頂けるよう、お願いをしてきました。その後、皆で昨年から利用している筑波ふれあいの里に向かいました。1棟を貸切りして、狭いながらも32名が参加してそれぞれ山の話に興じました。今年は会員の数も多くなり、山行の数も、形態も活発になってきており、今後も事故を起こさない準備と体制を考えて行かなくては思っています。

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平成23年9月25日(火)

8月15日からは年金生活に入りました。節約生活を試みていますが、それで家族の生活をまかなえるはずもなく、当面は和代の年金頼みです。時間は沢山あるはずなのですが、すきに時間を自由に使えるわけではありません。限られた時間を何に使うか、思案のしどころです。仕事を離れて約半年がたちました。振り返ると、市職員として37年、税と福祉には合わせて23年間従事しました。の部署を含め、沢山の色々な経験をしました。若い時は、与えられた仕事は果たさねばと、自分自身を鼓舞しながらやってきました。年長になり、失敗もありましたが、周囲に助けられて、しのいだ経験もありました。おこがましいですが、困難に直面している職員もいますが、一人で悩まず、同僚、上司に相談して、がんばってもらいたいと思います。私はひそかに応援しています。

9月12日(旧暦8月15日)は15夜でした。1年の中で最も美しい月とされています。中秋の名月だそうです。ススキが必要なので、和代と思川の川原に探しに行きました。家からしぼり坂と呼んでいる坂を散歩しながら川原に行きましたが、なかなか見つかりませんでした。今年は異常気象で、やたらと暑いのでまだススキ穂が出ていないのかな、それでも川の縁でやっと見つけて帰りました。スーパーで団子を買って帰りました。夜9時過ぎに月を見るとなかなかの満月でした。

9月19日、県南地区山岳協議会が6月25日から7月23日まで派遣した2011栃木インドヒマラヤ登山隊のマリ峰登山報告会を開催しました。登山の内容といえば、隊員が山頂直下、時にクレバスの現れる、60から70度の氷の斜面、600mをルート工作して山頂に立つという、とてもハードな登攀でありました。マリ峰はインドジャム・カシミール州パンゴン山脈にある、中国との国境に位置し、紛争地域で地図も公開されていない、秘境の地であります。双耳峰で西峰6560mはインド隊によって登られており、主峰になる東峰6585mが未踏峰で、初登頂を目的に計画された登山隊でしたが、見事に3人が登頂に成功し、登山史に残る快挙でありました。全員が山頂に立てず、悔いの残る部分もありましたが、しかたありません。隊長の76歳を筆頭に5人の平均年齢66歳なので、まさに前期高齢者登山隊でしたが、若いころから鍛えられた精神と肉体のなせる業なのでしょう。他にも県南には、毎年のように、海外に目を向け、活動しているメンバーがいます。協議会が昭和50年4月に発足して36年になります、40周年に向けて計画を立ち上げろとの話がありました、だれた精神と肉体の自分にはとても出来そうにありません。


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平成23年5月20日(金)  

私の退職後のイベントの一つに、高知市の谷口さんを訪ねる旅がありました。昭和48年3月に大学3年ワンゲル部で剣隊、石鎚隊、四国カルスト隊に分かれて春合宿に四国を訪ねました。私は剣隊8名のリーダーで参加しました。ワンゲル部報旅路10号によると剣山登山後の3月28日に、高知市内でサイト場が見つからず、困っていた時に、民家の学習塾を2晩使わせていただきました。その時、場所を紹介していただいたのが谷口さんで、以来年賀状の交換をずっと続けてきました。その後、松山市に1度行く機会がありましたが、足を延ばせず、会いに行けませんでした。退職を機に、高知市を訪ねたいと思いました。谷口さんに電話をかけたところ、快く、ぜひいらっしゃいと言っていただきました。聞けば、登山の趣味もあり、石鎚山も何度も登っているとのことでした。顔がわからないといけないので、ハンカチを持って空港で待っていますとのことでした。

5月9日(月)朝4時に起き、四国高知市の谷口さんを訪ねる旅に和代と出発した。東北道から首都高速、パーキングへ。ANA561便7時50分発で羽田を出発した。約1時間15分位、4月のスイスに比べればあっという間、谷口さんご夫妻がゲートでハンカチを持って待っていてくれました。久しぶりです、挨拶をしましたが、お二人とも元気そうでした。レンタカーは今日の分はキャンセルし、明日駅前支店で受け取りとしました。空港駐車場で、谷口さんから明日とあさっての天気は雨予想なので、石鎚山に行くのなら今日が良い。どうしますか、3時間位かかるが、行くなら今から送ってくれるという。お言葉に甘えて、行くことにした。

奥様の運転で狭いが近道の道路を飛ばして、3時間余りで登山口の土小屋に向かう。急いで持参した服に着替え、小屋で鎖場用の軍手を買って13時出発、歩きやすいルートを進み、1回休憩しロープウエーからの尾根に14時15分に着いた。途中少しだが残雪もあった。登りは鎖場を通らず、まき道を進む。途中、団体さんが下山してきた。予定通り、14時38分に到着した。頂上には神社と宿泊できる小屋があった。山の最高点はこの先のピークのようだ。行こうか、止めようか迷ったが、今日を逃すと来られない気がしたので、がんばって行くことにした。ルートが若干不明だが、慎重にピークをめざし、石搭を入れて写真をとる。頂上に外人さんも登ってきた。小屋に戻り、水を飲み、下山にかかる。小屋の人が鎖場ではなく、こちらが易しいよと声をかけてくる。三の鎖を伝って下るが、垂直なところがあり、慎重に下る。登りに一緒だった人が、一般道どんどん下って行くのが見えた。これでは時間がかかりすぎるので、二の鎖はやめて、登ってきたルートに戻ることにした。下のほうではショウジョバカマが沢山咲いており、写真に撮る。国民宿舎のそばを通り、16時45分に下山した。3時間45分の行動でした。
谷口さん夫妻は下で待っていてくれ、下山を喜んでくれました。高知市内まで3時間半位かかる。帰りの途中、レストランで遅い食事をする。私は痛めた差し歯が心配で、海鮮ラーメン、和代は豚肉、谷口さんにごちそうになりました。お店から宿泊のホテルに、これから向かいますと連絡をした。ホテルまで送ってくれ、明日は夕食にかつおを食べましようと誘っていただき、1日目を終えました。

5月10日(火)和代が金比羅山に行ってみたいというので、早めにバイキングの食事を済ませた。ホテルからレンタカー会社に向かうのに路面電車に乗り、高知駅前に出た。レンタカー会社は駅前にありました。店員がナビを金比羅山社務所に設定してくれた。高知自動車道を経由、走ってみると、そう遠くではなかった。駐車場でなく社務所の設定だったので、着いてみたら社務所に入れず行き止まり、近くのおじさんに聞くと、すぐ上に神社従業員の駐車場があり、そこに停めなさいという。参拝の石段に出ると、土産店のお店が続いていた、丁度上の地点でした。そこから階段をひたすら上る。本殿に着くが、ここが一番上部でなく、この上に奥社があるとのことで、向かうが、遠かった。石段を汗だくになりながら歩き、やっとの思いで11時15分に到着し、写真をとりました。
案内によると、私と和代は今年、厄年らしい、お札とおみくじを買いました。おみくじは末吉で読んでみるとこれから運が開くか、なくなるかは、あなた次第ですよといっているようでした。土産店を少し下り、車に戻る。下の駐車場をめざすと、すごく賑やかで、さすが、金比羅山という感じでした。今日は、下半分の歩きを省略しましたが、体力を温存できました。
帰りは、かずら橋に寄ろうと思いましたが、時間が気になり、あきらめ、高知市近くまで来て、桂浜に寄りました。坂本龍馬の像は、想像していたより大きかったので驚きました。雨が降ってきたので、傘を差し、岬まで歩いてきました。水族館に客は少ないようだが、賑やかな声が聞こえていました。土産店で馬路村特産のジュースを見つけ、安そうだったので買って、送って貰うことにしました。丁度5時にホテルに戻ると谷口さん夫妻が来てくれていました。ホテルは昔のはりまや橋のふもとにあり、橋をバックにご夫妻と一緒に写真を撮りました。近くにある、小さなお店がたくさん集まり、好みの料理や飲み物を各自が持ってくることのできる屋台村みたいな店で食事をしました。谷口さんが、どこかの店で最高というカツオを見つけてきてくれました。大変おいしかったです。谷口さんは、今は膝を痛め、山には行かず、週末には別宅に登山仲間が集まるとのことでした。当時の写真では子供だったお子さんたちは、45歳、50歳とそれぞれ独立して、立派に生活されているとのことでした。明日は空港に送りに来てくれると話し、別れました。

5月11日(水)今日は、牧野植物園と高知城を予定していましたが、昨日行けなかった、かずら橋を午前中に行くことにしました。ナビで見ると、45キロ位でした。やはり自動車道を飛ばし、38年前の記憶にある、かずら橋に到着しました。橋は思ったより、足元の木の間隔が広くて、カメラを落としそうで不安になります。また傷んでおり、3・4年ごとの修理の時期なのではと思いました。帰ろうとした時に雨が落ちてきました。観光バスの客の一団が来ましたが、滑りやすく、渡れなかったのではと思います。
県立牧野植物園は想像していたより、ずっとよかったです。植物一つ一つにプレートがあり、何度も来れば覚えられるのではと思いました。牧野富太郎博士の生涯が紹介されており、偉い人だったことがわかります。2時間半くらい散策したので、高知城見学はやめにしました。空港に着くと、4時半位になってしまい、行かなくて良かった。お土産を少し買い、休憩していると谷口さん夫妻が来てくれ、ご夫妻が売店で地元名産のお土産を持たせてくれました。出発ゲートでは携帯をポケットに入れたままだったので、ブザーが鳴ってしまいました。ANA568便、18時20分に時間通り、出発、19時半ころ雨の羽田に無事着陸しました。パーキングから首都高速を何とか、通り抜け、東北自動車に入ると、いつものようにホッとしました。10時半に自宅につきました。谷口さんに無事の到着を電話したところ、喜んでくれました。今回、38年ぶりに谷口さんご夫妻に再会することが出来ました。年始のあいさつの大切さが、今さらながらわかりました。人はいくつになっても、変わりません。今回も親切にしていただき、よい思い出にすることが出来ました。谷口さんご夫妻のますますのご健康を祈念してやみません。

今年度から小山山岳会の代表を引き受けることになりました。在籍が長いばかりで、山の実績も実力もありません。しかし、山は自分のライフワークと思っており、時間もとれそうです。登山は基本的に、自己責任の世界ですが、安全登山が第一です。何か問題があったときは、その責任を果たしていきたいと思います。



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平成23年4月29日(金)

前回は、昨年の12月までだったので、それ以降を記します。

1月19日(水)に、退職により最後になるかもしれない自治医大検診センターでの人間ドックに和代と一緒に行きました。今回は頭部と腹部のCTもとりました。このところ、受診するごとに、検査結果は芳しくありません。今回は8項目で指摘あり、3項目で精密検査が必要とのこと、なかなかいけず、4月15日やっと自治医大に行きました。脳外科は6月にMRIの予約、消化器内科は血液検査とエコー検査をしました。酒を控える、食事内容に気をつける、運動をするという、もっともな話でした。今後は仕事にして健康に気をつけることにしたいと思います。月、木は休肝日にすることにしました。

1月20日(木)、猫のともじの逃走事件がありました。夕方、いないのに気がつき、家中捜すも何所にもいません。これは大変、外に出てしまったかと、夜中までライトをつけて探すも見つかりませんでした。ともじは耳が聞こえず、我が家に来て以来、事故が心配で外に出していません。過去、2、3度家の外に抜け出した事もありましたが、すぐ見つかりました。娘は、猫帰りのおまじないをしました。これは、だいぶ前に、猫好きの職員に聞いたもので、昔飼っていたコトラの時も霊験あらたかで効果ばつぐんでした。内容は 「立ち別れ いなばの山の峰に生ふる  まつとしきかば 今かへりこむ」 ☆食器をさかさにふせる 上の句を書いてかべにはる(帰ってきたら下の句をつける そのあと処分(焼く)する) 翌朝、目を覚ますと同時に和代と近所を探し回りました。二百m離れた、遠くのアパート、借家のあるところでニャーと鳴き声が聞こえました。急いで走っていくと、やっと見つけることができました。つかまえると、大寒の日の寒さからブルブル震えており、急いで家に連れて帰りました。もとの元気さをとりもどすまで2.3日かかりました。

3月11日(金)午後2時46分の東日本大震災、小山ではM6弱の地震には驚きました。職場にいましたが、凄いゆれが、なかなか止まらず、来庁者ともども全員が庁舎から外に避難しました。私のいた庁舎の被害はありませんでしたが、市役所本庁ではガラスが何枚か割れ、ロッカーが相当倒れたようでした。その日のうちに対策本部が立ち上がり、施設の被害状況、安否確認やら、駅にいる帰宅難民の炊き出しと大変な騒ぎになりました。地震と同時に停電になり、電話、携帯も通じず、夜11時過ぎに、信号機もついていない、真っ暗闇の中を家に向いました。家族は無事で、家も特に壊れた所もなく、幸いでした。ローソクとヘッドランプの灯りで、ビールを飲み、やっと落ち着きました。退職を前にして、よもやと思いましたが、31日の退職辞令の日まで、毎日出勤することになりました。

私は3月31日付け小山市役所を退職しました。昭和49年4月1日就職いらい、37年間の地方公務員生活でした。社交べたで、手のひらの汗を拭き拭き、事務を執り、何とか人並みに仕事を続けることが出来たのは、家族の支えと、職場の皆さんに感謝です。定年より1年早かったのですが、悔いはありません。その代えられない、1年間を有意義に過ごせればと思います。今後はあらたな人生を踏み出そうと思います。



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平成22年12月25日(土)

8月の山歩き会で行った、北アルプスの常念岳は初めて登りましたが、天候にも恵まれ、槍や穂高が眺められ、思いのほか楽しい山行になりました。
9月5日(日)に日光に行き、金谷ホテルでコーヒーを飲んできました。11日(土)、12日(日)は県南地区山岳協議会の集中山行が日光白根山でありました。私たちは前日の湯元キャンプ場の宴会だけに参加しました。

10月1日(金)栃木山岳会のY氏の告別式があり、参列しました。長く、山岳連盟や県南で顔を合わせていた、温厚な方で、大変残念でした。2日(土)、二人で金精から奥白根を周遊してきました。白根の下りでは転倒して、カットバンだらけになり、痛い目にあいました。9日(土)に和代が行ってみたいというので黒斑山に、この山は雪のある時期でも楽しめそうでした。23日(土)、24日(日)に小山山岳会創立40周年記念山行を福島県の二岐温泉ベースで24名参加、賑やかでした、二人は都合で宴会のみ参加しました。

11月3日(水)、神田の古書祭りに二人で行きました。岩波書店の、定年後「もうひとつの人生」への案内、を買いました。近くの登山用品店2軒をいつものようにのぞいて来ました。入荷を待っていた、値段は高いが良さそうな毛の手袋を2ヶ買ってきました。13日(土)に東京の海外スキー専門のフェロートラベルに寄ったあと、駒澤大学体育会ワンダーフォーゲル部創部50周年記念祝賀会に参加しました。和代も行ってみたいというので、連れて行きました。私は11期でした。少し寄付をするだけで、運営に貢献をしている訳ではありませんが、今後も続いていって欲しいと思います。36年振りに学校に入ると、当時と変わった所もあるでしょうが、はるか昔の世界で、ほとんど思い出せませんでした。40周年以来、数人の同期の仲間や先輩、後輩の懐かしい顔を見てきました。私の山との出会いはワンゲルでした。音信不通のYは、元気に暮しているだろうか、時々心配で思いだします。

12月4日(土)、5日(日)山岳会のザイル祭がありました。今年は筑波の麓に場所を変えて開催、27名が参加しました。我々は、翌日の山行には行かす、谷川岳パーキンに水を汲みにいきました。11日(土)山岳会のNさんの告別式がありました。壮絶にガンと格闘しましたが、力尽きて倒れてしまいました。よき家庭に恵まれ、山と仕事にまっしぐらに突き進んだ人生だったと思います。私は山岳関係を代表して弔辞を読ませていただきました。

19日(日)山歩き会の忘年山行で石裂山に行きました。久し振りの鎖と梯子に少しびびってしまいました。やはり、山に行かないと感が鈍くなってしまうのかも知れません。数年前に交通安全協会の安全運転40年の賞状を申請してもらいましたが、今月、緑十字優良運転手の賞状とバッジをくれるという、貰えるものはいただきました。今年もいろいろありました。








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平成22年8月8(日)

6月22日に職場の階段で左足を踏みはずした。その時は、足首より腰痛が悪化したと思い、整形外科に受診した。翌日に接骨院、翌日に均整治療院にかかった。てっきり持病の腰痛の悪化と思い込んでいたら、足首の痛みが腰痛を上回ってきた。翌日に整形で足首のレントゲンをとる。折れているわけでなく、塗り薬を処方された。左足に体重をかけられず、痛くて歩けず、しかたなく、接骨院で松葉杖を1本借りて使用することにした。約3週間松葉杖のお世話になりました。初めての経験で、いつになったら直るのか心配になりました。

現在、ほぼ普通に歩けるようになりましたが、足首に違和感があり、早足ができる感じまでには回復しました。体重計の数値にも変化がありました。けがの前日の21日と7月11日を比べて、体重2.1k減、体脂肪0.7増、内臓脂肪変化無、基礎代謝61減、筋肉量2減、骨量0.1減でした。体重が減ったのは嬉しかったが、基礎代謝と筋肉量が減っていました。現在、数値は以前に戻りつつありますが、少しずつ運動量を増やさなくては思っています。今まで、足をくじくことはあっては、これほどひどいのは記憶になく、これから気をつけねばと思っています。

7月19日、海の日に冬に通ったかぐらスキー場に向う。家で使っている谷川の6年水がなくなってきたので、水汲みと左足捻挫のリハビリを兼ねて苗場山登山口の和田小屋上部へのハイキングに出かけた。谷川岳パーキングで予定通り水を汲む。この冬、通いなれたかぐらの駐車場に着く。小屋への林道は、スキー場駐車場が出発点だ。途中ロープウェイ駅を通り越し、駐車場スペースがあり、皆止めている。一旦止めるが、上部に向う車があり、我らもあとに続き、和田小屋に到着した、宿泊客など関係人専用なのかもしれない。

二人で小屋のトイレを借りて、8時14分歩き出す。歩き出してすぐ、雪のかたまりが残っていました。雨上がりなのか、登山道はぬかるみで歩きにくい。花の写真を撮りながら、こ一時間歩いて6合目で休憩して戻ることにした。
10時18分に小屋に戻る、今日はリハビリで、用心に越したことはない、2時間余りの行動でした。ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ゴゼンタチバナ、コウゾリナ、ギンリョウソウなどを写真に収めて帰りました。

今年の2月に和代とパスポートを取りました。職場が変わらなければ、今頃はニュージーランドスキーキャンプの予定でした。行ってみたかったんですが、残念でした。
















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平成22年6月6(日) 

4月4日(日)小山山岳会総会及び40周年記念式典を和田屋で開催しました。記念式典は大きく広げず、OBにだけ声をかけ内輪で実施しました。
無事おわり、事務局のNさんに感謝です。在籍が長い方なので、わかる範囲で創立の頃の話をしました。会報に和代は昭和48年3月に、私は昭和49年8月に山行報告がありました。

4月18日(日)おやま山歩き会の総会がありました。山歩き会は平成10年、11年に中央公民館の市民講座◆いまからできる山歩き〜中・高年初級コース〜で講師を担当しましたが、11年度受講者を中心として発足したグループです。都合のつく時に和代と一緒に山行を共にしています。10年以上経過してメンバーも高齢化、最近は観光も増えてきました。生涯スポーツを実践しており、いつまでも続いて欲しいと思います。

5月14日(金)に山岳会で33年前の1977年(昭和52年)にマッキンリー登山に出かけた、仲間が集まりました。40周年記念で顔を会わせた時に話があり、呼びかけました。都合で2人が欠席でしたが、全員登頂の喜びがよみがえりました。お店は出発前に家族が顔をあわせた時の経営者の店で、店の奥さんに写真を見せたら懐かしがっていました。

5月16日(日) 塩原のエーデルワイスにタラの芽と、若見山のイワウチワの花を目的に出かけました。イワウチワは遅かったらしく、やっと三つ見つけることが出来ました。休憩していると、何気なく和代が正面にタラの木を見つけました。なんと、丁度よいのがいくつかあり、ひっくり返るトラブルはありましたが、少し収穫することが出来ました。それからエーデルに向い、昨年見つけたところを探しましたが、ほとんど見つからず、代わりにフキノトウを少し採ることができ、夕飯はてんぷらでいただきました。

5月23日(日)県南地区の雪上技術講習会を上州武尊山でやりました。和代の膝が不調で、我々は途中の登山口まで行き、タラの芽を探しましたが、遅かったようです。下山中に遠くに日本かもしかを見つけました。生憎の雨模様で、昼過ぎには切り上げ、下山してきました。O氏、皆濡れており、風呂に入るから少し補助をすればとの意見、賛成しました。

6月5日(土)久し振りに谷川岳の出合めぐりに出かけました。土合橋近くの駐車場に車を置き、8時に出発、新道を経由してJR巡視小屋、虹芝寮を目指した。途中、一ノ倉沢の下部と思われる地点からのゼニイレ沢を下からのぞいてきました。巡視小屋のすぐ上にある、現在の虹芝寮は1978年(昭和53年)に建替えしたものですが、当初は1932年(昭和7年)建設で、日本の山小屋の草分けみたいなものです。ここから旧道に上がり、芝倉には行かず、幽ノ沢、一ノ倉、マチガ沢と一周してきました。昔、幽ノ沢のV字状、正面フェース等登ったことを思い出しました。花も咲きだし、写真を撮りながら、2時近くに車に戻りました。


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平成22年3月27(土) 

なかなか更新が出来ません。これは、土日のどちらかはスキー、1日は休養日としており、平日は仕事から家に帰ると酒を飲んでしまうからです。

今シーズンは和代と二人で苗場・田代・かぐらの共通シーズン券を買い、都合15回(1月3日から今月22日までに9回)行っており、春スキーで何回か行くつもりなので、料金分はペイできると思っています。そのほか、エーデルワイスに1回、宝台樹に1回行きました。

初のうちは、三国トンネルを抜けた雪景色にさすが雪国なのだと感心していましたが、段々慣れてきて、普通の景色と思えるようになりました。ゲレンデとスキースクール、いつも手弁当なのでプリンスホテルの内部も見当がつくようになりました。スクールの先生がスキーヤーが減ってしまったと嘆いていましたが、リフト待ちもなく、今は静かな苗場スキー場です。

スタンプ10回目に千円の食事券が貰え、初めてお店のパエリァを足し増しで食べましたが、美味しかったです。

今年は暖冬のはずが、前半は行く度に吹雪で午後は早帰り、地吹雪でワイパーに雪のかたまりがつき、先が見えなくなることがありました。苗場のホームページにスノーワイパーブレードの記事があり、値段は高いが、早速ワーゲンのディーラーに注文し、取り付けました。

自動車道のパーキングの抽選でリフト券が幸運にも2枚当たり出かけた、2月6日の宝台樹は全国的に大荒れで、ホワイトアウトで先が見えず、前を走っていたバスが雪の壁に突っ込んでいました。この時も、このブレードが大活躍でした。

スクールにも何回か入り、上達を目指しましたが、結果は思うようではありませんでした。それでもシーズン前よりよくなっているとは思います。やはり、中高年の身体が硬い、腰痛持ちには1級は無理なのかも知れません。

1月20日(水)自治医大検診センターに二人で人間ドックに行きました。私はいくつかの項目で要経過観察、消化管、聴力、視力が低下しており、やはり年なのでしょう。

1月31日(日)県南地区山岳協議会のパルチャモ報告会と副会長のO氏の平成21年度栃木県山岳遭難防止・救助等功労者顕彰栃木県知事表彰祝賀会を開催しました。長年にわたり県連盟山岳救助隊長を勤めた方で、とうに退任され、時期を失した表彰でしたがお祝いができて、大変よかったと思います。

3月13日(土)県山岳連盟の那須指導員研修会に二人で参加しました。朝日岳東南稜ルートには6人パーティーで、私は初めて、和代は昔登ったことがあります。アイゼンでの冬山縦走の経験は十分ですが、ザイルを組んだコンテ、スタカットの岩稜登攀はほとんどやらず、本番のクライミングも経験不足なので、リーダーには教わることばかりでした。

途中のギャップの懸垂下降地点から下山しましたが、自分にとっては新鮮で充実した山行となりました。但し、リーダーはこんなこともわからないと、あきれていました。

次回はもう少し、上手くなっていなくてはと思いました。このコースは今度の初冬にぜひチャレンジしたいルートになりました。

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平成22年1月1(金) 

新年あけましておめでとうございます。今年も少しずつ、更新していきたいと思います。
平成21年9月12日(土)〜13日(日) 県南山協の谷川岳集中登山に参加しました。昨年は小山山岳会が担当でしたが、雨で自主山行としました。今年はきったて登行会の担当です。前夜祭は土合駅に集合し、皆で酒を飲み楽しい時を過ごしました。翌日はマチガ沢に移動し東尾根、西黒、厳剛、本谷からそれぞれ頂上を目指しました。私と和代はロープウェイの無料パスがあったので天神尾根から谷川岳に向かいました。12時30分過ぎに最後の東尾根隊がオキノの耳に飛び出してきました。今はルートに登る人が少なくて、滑りやすいところが多く難しくなっているようです。

9月26日(土) 家族3人で栂池自然園に行きました。何日か前にテレビで紅葉の名所として放送していたのと、今後の白馬岳の下見を兼ねて、山麓ドライブに興味があったからです。結果は自然園入り口の無料きのこ汁と、もちのサービスをいただき、満足してもみじ狩を楽しんで来ました。

10月31日(土)に同じく3人で尾瀬ヶ原に行き、竜宮小屋までハイキングをしてきました。鳩待峠から山の鼻までずっと木道になっていました、歩き易くなったのかどうか、私には疑問符です。山の鼻から竜宮小屋までの間で木道の修理をしていました。毎年区間をきめて計画的に実施しているのでしょう。峠の駐車料金の高さに閉口しましたが、その費用に当てているのでしょう、仕方がないのでしょう。

11月5日(木) 小山テレビの「アスリートの格言」という番組の収録をしました。小山市体育協会から連絡があり、登山の話が聞きたいとのこと、マッキンリー登山の話が出たとのこと。番組の内容はわからないが、特に断る理由もなく、山岳会の在籍は長いので引き受けました。一応想定の準備をしたものの、収録はあっと言う間に終わり、放送になって、はじめて番組の名前を知りました。汗をふきふき、インタビューを受けている姿は、あまりかっこよくありません。タイトルにも、ふさわしいとは思えませんが、いえるとしたら、ほそく長く続けること、登山には自然に対する謙虚さが大事、これくらいでしょうか。

11月23日(月)祝日かぐらスキー場に和代と初すべりに出かけた。今年は、苗場とかぐらスキー場共通シーズン券を買いました。値段は高いが、シーズンが長く、もとは取れると思っています。

12月19日(土) 東京に和代と買物に行き、スキーツアー用ザック1つ、20用ザック1つ、羽毛ジャケット2着、チタンのテルモス1つ、小さめのヘッドランプ2ヶ買ってきました。しばらくの間、活躍してくれると思います。

12月20日(日) おやま山歩き会の忘年山行に和代と栃木市の三峰山に参加しました。同じく11月22日(日)に八溝山、10月10日(日)谷川岳に行きました。

12月31日(木) 29日に続き、苗場にスキーに行きました。天気は荒れ模様の予想でしたが、午前中は筍山のビューポイントから携帯で写真をとることができましたが、午後は吹雪でした。スキーは、夫婦でこの年ですがエーデルワイスに3年、ハンターマウンテンに1年と夢中で通い、今年は苗場で、とうとう5シーズン目に突入しました。思うように上達しませんが、もう1年がんばります。

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平成21年9月12(土)

8月17日(月)〜18日(火)、和代が小山市スポーツ少年団が宇都宮市冒険センターで毎年やっているトライキャンプの登山指導者で出かけました。前団長のI氏から手伝ってくれと言われて6回目になります。年によって子供たちは静かだったり、元気がよかったり、今年も気持ちが悪い、擦りむいた、打撲したと市民病院の看護士さんは大忙しだったそうです。声がかかれば、指導者のN氏がいる間は続けてもいいと言っています。一応下見には行き、今年は野原に咲く植物を事前に調べて行きました。

8月30日(日)に衆議院総選挙がありました。選挙事務で1日13時間椅子に座っていたら腰痛を起こし、いらい整骨院に通っています。椅子に座りきりというのは、腰への負担が相当かかるようです。気にはなっていたのですが、今後、長距離運転時にはサポーターをしようと思っています。選挙の結果はといえば、民主党の圧勝で、新人議員が沢山生まれましたが、4年後に再選されるような国家、国民のために必要な国会議員としての責任を果たして欲しいと思います。偶然にも、前回の月たよりに記載した八ツ場(やんば)ダム計画が新聞紙上を賑わしています。一時中止なのか、ずっとなのかわかりませんが、地域に住む人達の苦労は尽きません。

9月6日(日)、湯ノ丸山のイワインチンを見に行きました。前回行った時に保護作業をやっていたボランティアにぜひ来なさいと言われ、少し時期が遅いかなと思っていたら見ごろでした。8時15分地蔵峠の駐車場を出発、登山者は20人くらい。ノアザミ、オヤマリンドウ、コウメバチソウ、マツムシソウ、天然記念物の蝶のベニヒカゲ、途中からイワインチンがあり、頂上付近は群生していました。南峰に10時到着、食事をして写真を撮りながらブラブラ下山、11時46分に駐車場に到着しました。北岳に続き、今回も空き容量がない表示、256MBのSDカードでは記録サイズ7Mでは100枚位です。例によって秘湯を守る会、紅葉館の風呂につかりました。

帰りに、時間があれば懐古園の藤村記念館に行ってみたいと思っていたので、ガイドブックで近くの、鴨付せいろがお勧めの菖蒲庵を見つけ行ってみました。店の裏庭は千曲川と浅間山の絶景ポイントで写真を撮ってもらいました。ここはヘリポートになっていて、ヘリで来る客もいるようです。蕎麦は鴨肉が5,6枚入っていて美味しかった。隣のお客さんが、近代俳句の巨匠、高浜虚子(きょし)記念館があるからぜひ行くといいとパンフレットをくれたので、行ってみました。小諸は太平洋戦争の戦火を避けて、小川栄一の援助を受けて、4年間過ごした場所だそうです。

 ところで、高山植物を沢山写真に撮ったので、家にある高山植物の本(ちいさい5,6冊)を引っぱり出して、名前を調べてみました。今までなかった経験で、時間はかかるが、名前がわかった時は嬉しいものです。今回も湯ノ丸の高山植物を写真館に入れました。




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平成21年7月20(月)

7月12日、山歩き会の山行で、本白根山に行きました。往きの車中から見た川原湯温泉周辺が、ダム建設で水没することを知りました。川原湯温泉には30年以上も前に職場旅行で行った記憶があります。
利根川水系吾妻川八ツ場(やんば)ダム計画です。昭和27年にカスリン台風級の水害から利根川流域と首都圏を防ぐ目的で、ダム建設が計画され、昭和42年実地計画調査開始、八木沢ダム、下久保ダムに次ぐ貯水量1億トン級のダム建設が発表された。源頼朝発見の名湯として名高い、河原湯温泉一帯の300世帯以上が水没する計画に対して、地元では大反対運動が起きました。生活再建対策により、平成4年に町、県、国の建設推進の協定が結ばれ、平成6年から建設が始まりました。現在は、水没する国道145号線の渓谷上部にバイバス工事の建設、対岸に県道建設、JR吾妻線の付替え工事、住民移転場所の工事等が進められています。工事事務所によると、昭和42年から平成27予定までの総事業費4600億円、平成20年度300億円、21年は225億円の巨費が投じられています。公金支出差し止め訴訟もあるようです。ダムの規模や反対の規模も大きいとはいえ、60年以上かかる大事業だというのがわかります。

7月4日 和代がサロモンのデモレディー146cm、を購入しました。以前お店で薦められて、欲しいと思っていた板で、思い切って買ってしまいました。今までの板より、数段性能がよく、来シーズンが楽しみです。私はと言うと、オークリーのサングラスを買い換えました。お店の人に聞いた所、レンズがくもった時に、くもり止めをつけていたのですが、レンズを傷めて、やってはいけなかったようでした。そういえば、説明書を読んでいなかったかも。

7月20日(月)宇都宮に買物に行きました。パルコに入ったら、ツールド、フランスの実況と解説を担当する人と、宇都宮に本拠のあるプロレーサー集団のメンバーのトークショーをやっていました。先月、茨城の那珂湊で偶然、ツールド・ジャパンを観戦したことがあり、お楽しみプレゼントにも惹かれ、1時間30分座っていました。最後に抽選会があり、和代が一つしかない、解説者が持参した2009・ツールド・フランス限定のポロシャツが当たりました。ファンにとっては、相当価値の或るものかもしれません、近くに座っていた人が、すごくうらやましがっていました。





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平成21年5月26日

去年の8月にOさんから突然メールが届きました。最初誰だか分からず、すぐ思い出しました。30年以上も前に、何度か一緒に山に登った方でした。山岳会のホームページからわが家のページに気がつき懐かしく思い、連絡をくれたとのことでした。その後10月に和代と東京のスキーショップに行った時に、疲れたからコーヒーでも飲もうと店の前で立ち止まっていたら、偶然にもOさんが通りかかり、それこそ30年ぶりに再会しました。現在は東京に住み、元気に生活されているとのことでした。我ながらあまりの偶然にびっくりでした。

先日、車の6ヶ月定期点検をしました。昨年末の暮れに車検を済ませたが、その後エンジンオイルを交換せずに5ヶ月間でほぼ1万キロを乗り、とばす時もあり、今まではやらない点検をする気になりました。特に不調なところはなく、安心しました。今年は山スキーに6回行きました。気持ちよかったのは、根子岳と月山で、後は不満足でした。スキーの腕前と、時期やアプローチの問題もあるが、適季は2月から3月なのだろう。20日(水)に振替休でかぐらスキー場に行きました。そこで出会ったおじさんは11月の末から軽井沢、3月からはかぐら、6月は月山で7月から10月の4ヶ月が休みと言っていました。うらやましい話ですが、その気になれば、意外とシーズンは長いと思いました。

昨年は職場では、なかなか経験できないような事案がいくつかありました。3月から4月は職場の異動の季節、自分も対象だったので、忙しかったです。月日のたつのは早いもので、昭和49年から35年がたち、市役所内の異動の回数は10回目、出戻りがあるので、経験する職場は7箇所になりました。退職までに、あと数年を残すのみ、ここが最後の職場になると思っています。在職しているからには応分の責任は果たさなければならない。今までの経験を生かして、もう少し頑張れればと思っているが、やってみなければわからない。そんな訳で、年金相談の案内が先日きました。退職後のプランを考えなくてはいけない年齢になりました。
 
24日(日)県南地区山岳協議会の行事である研修会を谷川マチガ沢で開催しました。参加者は各会都合あり多いとはいえませんが、小山山岳会は11名参加で前夜の懇親会から盛りあがりました。当日は雨にも降られず、県南の救助隊長の長岡さんを講師に弱層テスト、ゾンデ棒やビーコン操作、搬出法などを訓練できました。各会とも年齢層が上がっていますが、大事なのは力量にあった安全登山を実践することで、今回の研修は役立つにちがいありません。やはり、山スキーにビーコンは必携なので、来シーズンは購入しようと思います。

今日家の庭にあるサボテンの花が咲きました。









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平成21年1月2日

なかなか更新できないままに2009年(平成21年)が明けてしまいました。
いまさらですが、自分たちの出来事を記しておきたいと思います。9月20日(土)に県南山岳協議会の平成20年度集中登山の前夜祭がありました。当日の雨模様で参加を見合わせた団体もありましたが、会の宴会テントでは栃木の古内夫妻とキナバルの話しなど、一緒に盛り上がりました。残念ながら翌日の本番も雨で自主山行となりました。自分たちは姪っ子の結婚式のため、朝一番で帰途につきました。

10月4日(土)に戸隠神社の宝光社、中社、奥社にお参りをしました。戸隠は第33回(昭和53年)国体山岳競技のメイン会場で私も和代も下見や本番、会山行で何度も来ていた親しみのある山でした。特に奥社参道の杉並木は樹齢400年の大木が続き、何度でも来たくなるところです。中社の蕎麦店では最初は何もつけずに食べて欲しいと、自身ありげに言っていましたが、確かに美味しいと思いました。戸隠スキー場を見て、帰りに善光寺参りもしてきました。善光寺は初めてで、さすがに国宝というだけ大きくて立派でした。
12日(日)には塩原の日塩道路近くにある栃木百名山の富士山(1,184m)に行きました。大沼から頂上を踏み、奥塩原温泉の噴火口から巻いて戻って来る数時間のコースです。ここは山栗が多いこと、来年もこの時期栗拾いに行くつもりです。ここは山スキーを利用した、トレーニングに最適ではと密かに考えており、一度実践したいと思っています。帰りにハンターマウンテン塩原のシーズン券の申し込みをしてきました。
22日(水)には同じく栃木百名山の若見山(1,126m)に行きました。

24日(金)に県の交通安全協会の大会があり、欠席しましたが40年間安全運転表彰を受けました。添付した証明では昭和57年8月以降違反記録がありませんでした。東北自動車道ではたまに飛ばすこともありますが、無事故を心がけて運転したいものです。
26日(日)には山歩き会総勢27名の山行で新潟県境に近い稲包山(1,597m)に行きました。旧三国スキー場跡から四万温泉まで縦走しました。カメラから覗くと木々の葉が赤、黄色、緑が一緒に映り、感動してしまいました。

11月3日(月)は私達の結婚30周年記念日でしたが、特に何もなく過ぎてしまい、和代は少しがっかりの様子です。30年は長かった、あとどれだけ続くかやるしかない。
23日(日)奥白根山、天候悪くて途中敗退する。

12月6日(土)小山山岳会恒例のザイル祭り、和代と参加。相変わらす酔った勢いで、正月には、苗場に行ってみたいとか、3月の西吾妻山スキーに参加するとか、語ってしまった。ちょっと前まで今年は北海道のスキーツアーと考えていたが無理そうなので、1泊の山スキー山行なら行けそうな気がする。
7日(日)栃木県山岳連盟60周年記念式典があった。どういう訳か表彰を受けた。これからも頑張って山へ行けということだと思っている。

21日(日)奥白根山に登る。今年は7月から日光の山へ7回目だ。高さもあり、トレーニングには丁度よい。最後に頂上を踏めたのはラッキーでした。

今年の目標はなにか。今はスキーを上手くなりたい。その先に何かがあるに違いないと思っている。

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平成20年7月20(日)

5月からの月たよりを更新します。いまさらですが、5月11日(日)、丸沼に行きました。エーデルワイススキースクールの竹内校長他が来ていました。残念ながら、コブ斜面に向かっていったので、後については行けませんでした。5月13日(火)神楽スキー場は娘も連れて行きました。但し、スキーを履かないので、すぐ上のゴンドラ駅で山菜を探していました。この時期でも、まだスキースクールを開講しており、生徒も結構いました。ここが滑り納め、滑りはまだまだ、という感じ。

5月18日(日)かねて、スキー場はタラの芽が豊富なのでは、を確かめる為にエーデルワイスに向かう。思ったほどではないが、根気よく探して若干取れました。

6月8日(日)山歩き会の山行に久しぶりに参加した。赤城山麓の荒山、鍋割山ですが、当日山岳トレイルの大会があり、700人ほど参加しており、山は大混雑でした。そこで、偶然にも山岳会のUさんが参加しているのを見つけ声を掛けました。半分以上は参加することに意義を見出している人と思われます。しかし、太っている人がいないのは事実です。鍋割山は中学生の集団登山があり、起伏の緩やかな、なかなか良い山でした。

6月22日(日)山歩き会は悪天予想で中止するとの連絡がある。帝釈山頂には1時間位で立てるという。丁度オサバクサ祭りをやっていて、バッチももらえるらしい。娘も行くという。目を覚ますと雨模様だが、通いなれた東北自動車道を飛ばし、那須塩原インターに向かう。塩原温泉、会津道の駅、舘岩村経由、桧枝岐に向かう。桧枝岐は昔、冬は雪に閉ざされ、米が取れず、蕎麦が名産であるが、質素は暮らし振りだったのかもしれない。途中の街道沿いの稲の収穫時期の天日干しの風景や尾瀬沼、会津駒、燧ヶ岳の登山口でもあり、何度でも入ってみたいところだ。帝釈山登山口の標識を左折し、林道を14,5km走り、登山口の馬坂峠に到着した。交通整理の人がおり、車の誘導もあり、バスも結構止まっていた。期間中、有り難いことにトイレも整備しており、テントの下でバッチも頂いた。10時18分出発、オサバグサは歩き出して5分で群生地に着く、丁度時期がぴったりだったようだ。初めて見る光景に感動した。11時に山頂に着く。田代山からの登山者もおり、混んでいる。傘は持ち歩くも、雨はそれほどでもなかった。来た道を戻り11時52分に峠到着した。村で蕎麦と山菜てんぷらをいただき、美味かった。帰りに塩原の道の駅でねぎと唐辛子のパック詰めをお土産にする。

7月5日(土)丸沼のサマーゲレンデオープン、和代が膝の故障で出来ないので、午前中白根山に菅沼から登る。6時15分出発、7時50分、弥陀ヶ池着、8時50分頂上、11時55分下山した。イワヒゲ、イワカガミが特にきれいでした。サマーゲレンデは2時間ほど足慣らしをして帰りました。



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平成20年4月21日(月)

2008スキーシーズンは5月連休の丸沼の春スキーには行くつもりだが、一応終了した。昨年の11月3日の富士山の裾野のイエティ初滑りから4月6日のハンタマ、スノーキャンプまで相当行きました。3シーズン目のエーデルワイスにはゲレンデとスクールに大変お世話になりました。残念ながらコブ斜面の課題が残ってしまいました。小回りは上手く出来る時もあったが完成度が低かった。元々、小回りは苦手意識があり、昨年の2月の左肩の打撲傷が完治せず、常に腰痛のへの不安が影響していたとも思っている。もっと楽しんで滑ったらと話す先生もいました。定年まじかで、故障だらけのおじさんが夢中になっても、そう簡単に上手くならないよ。こう言われているようなものなのは解っているつもり。でも、まだ諦められません。全体的には私も和代も以前よりはそれなりに上達したし、弱点も多少解ってきた。来シーズンはどうしてやろうか考え中である。

2月には久し振りに沖縄に行きました。娘がいよいよ卒業になり、これからは、あまり来る機会がないかも知れない、最後の作品展と思い和代と出かけました。振り返れば6年間よく一人で頑張ったものだと思います。沖縄に何回か足を運んで、慣れれば料理も美味いと思うようになりました。ゴーヤチャンプルーと、泡盛は最高です。都ホテルは岡田家御用達で、いつも首里城内を通って学校に向かいました。いつも1泊ですから遠くに行けなかったのが残念でした。今回は琉球王朝の別邸で、先の大戦では米軍の艦砲射撃で破壊され、復元された那覇市にある識名園と、北中城村にある沖縄の昔からの住居の特色を備えもっている中村家住宅を見て来ました。いずれも古くからの沖縄を垣間見るのに丁度良いところでした。

3月に山岳会の元会長が亡くなりました。在籍が長いことから私が弔辞を読むことになりました。「厳しく美しい自然に少しでも接する事によって心の豊かさ、純真な喜びを得る事ができたなら、その人こそ本当にすばらしく、立派な登山者である」と会報第2号の巻頭言に書いてありました。氏はロマンチストでありました。告別式の参列者に、私の知る氏の人となりを伝えられる最後の機会であると思って準備をしました。出来上がり、声に出して読んでみると、年をとり涙もろくなったのか、昔のことを思い出しておもわず泣けてしまいました。











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平成191124()

月たよりの更新がなかなか出来ません。筆不精に加え、なにやかや、手につかなかったのでした。手帳を開くと結構いろいろありました。

71日に岩手県の早池峰山に行きました。河原の坊から山頂へ、小田越に下ってきました。小雨に濡れる高山植物の群落は、たいしてと言うより殆んど興味の薄い私でさえ、ハヤチネウスユキソウ、ナンブトラノオ、ナンブイヌナズナ、ヒメコザクラなどの可憐な花が短い夏の間に咲かせようと、大小の岩の合間の砂地から見せる姿は感銘ものでした。登山口での山を汚さない為の携帯トイレの販売は早池峰山の自然を守るのには、確かに必要だと思いました。22()は太郎山に裏男体林道の林道出合から往復しました。27日〜29日は国体関東ブロック埼玉大会の審判を頼まれ、行きました。秩父の観音山が会場の縦走競技は、来年の正式種目からなくなり、最後の予選会とのことでした。加須のクライミング競技では栃木県の安間選手の活躍は圧巻でした。

811()12()JARD日本アマチュア無線振興協会の第四級の短縮コースを受講し、終了試験に合格しました。その後、家にある430のトランシーバー2台で無線局を申請しました。ですから、私と和代はれっきとした、無線従事者免許と無線局免許の有資格者になりました。無線機は実際に登山で使用しパーティーが分かれた場合の連絡に非常に有効です。12月のボーナスで安い無線機を購入予定ですが、まだハムの実践経験はありません。825()27()に槍ヶ岳に行きました。山歩き会の山行で、和代も私も30年ぶりの槍ヶ岳でしたが、天気にも恵まれ山頂に立つ事が出来、沢山の写真を撮ってきました。その北ア3千mの稜線に建つ槍ヶ岳山荘では、偶然にフルートの演奏会があり、桂綾子、聡子姉妹が奏でる演奏を楽しむことができました。

99()には子持山へ登りました。917()の県南地区山岳協議会の谷川岳集中に3人が参加し、巌剛新道の往復でしたが、こんなに汗をかいた記憶がない位の汗が噴きだしてきました。水上町の山岳資料館に寄って登頂証明を貰い、抽選では和代が天神平ロープウエィの切符2枚を当てて帰りました。

106()7()には、温泉ガ岳から根名草山を経て日光沢温泉泊、翌日に鬼怒沼へ行き、女夫淵温泉に下山しました。初めてのルートであり、晴天の草紅葉の鬼怒沼はなかなかのものでした。1028()には県南のマッシャーブルム登山隊の報告会があり、登山隊は全力を尽くすも登頂はならず、トレッキング隊では、1名が現地で病死、大変残念な結果になりました。スキー訓練については、山アラカルトに書きます。





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平成19年6月7日(木
)

4月になり、会議、研修会、歓送迎会、選挙と忙しかった。ようやく時間が取れたので4月24日(火)丸沼スキー場に行く。3月の末から1ヶ月余り身体を動かしていなかった。一応ストレッチをやったつもりだったが、コブ斜面が気になり、滑りたくなってしまった。2回目の時、腰に違和感が走り、腰痛を起こしてしまった。しかたなく、そそくさと帰路につく始末。2月には転倒して左肩を痛め、整形外科で肩に注射治療の為通院中である。腰のレントゲンは加齢の相当程度であり、特に変形は無いとの診断で、痛み止めの投薬と腰痛体操を指導された。今までの腰痛はせいぜい1,2週間で痛みは取れたのが、今回は長く1ヶ月以上長引いている。肩も前後の運動は出来るようになったが、横に動かすと痛くて未だに完治しない。スキーが面白くて、無理をしてしまったのかもしれない。やはり、年齢には勝てないのだ。そう云う訳で、5月の連休もとうとうどこへも行けず手帳の日程が空欄のままだった。和代はと言えば、膝を負傷しており、これまた、整形外科で注射療法中である。しかし、なんとか軽い山行から始められそうだ。

連休にずっと長い間、飼っていた金魚がとうとう死んでしまった。このところお腹が膨れて人間で言えばがんにでも罹っていたのではと思っていた。庭に埋めて線香をたいてやった。平成3年に家を建てた後から飼いだした、最初何匹かいたのが、一匹になり、すごく大きくなり、かれこれ15年位生きていたと思う。生あるものいつかは死んでしまう。空の水槽を見て、沖縄から帰省していた、娘の夏子が種類の違う金魚を3匹ずつ、都合6匹買ってきた。一応店員に一緒に飼って大丈夫か聞いたようだが、結果的には同じ種類を飼ったほうが良かったようである。動きの遅い種類の2匹が死んでしまった。仕方なく、小さい水槽を買い、もう1匹買足して2匹で泳いでいたが、残念ながらその一匹も死んでしまい、何日か前、最後の1匹も死んでしまった。生き物を飼うのは難しい。しかし、我が家の猫のともじは多少暑さ負け気味だが元気である。

栃木県南地区山岳協議会が派遣する、パキスタンのマッシャ―ブルム登山隊が明日6月8日、成田を出発する。当日は7時半に出勤しなければならず、残念ながら栃木市への見送りにもいけない。帰国予定が8月3日で、約2ヶ月の遠征である。登山隊員はそれぞれ旧知の人達で実力と実績の或る、少数精鋭の4名ですから、見事に登頂を果たし、全員が無事に帰国することを信じている。体調よく高度順化がうまくいき、天候に恵まれることが条件だが、無理をせず、初期の目的を達成して欲しい。登山隊とは別にトレッキング隊も派遣する。あなどらず、無事に帰国して欲しい。昔の話しだが、私と和代が参加した1977年小山山岳会マッキンリー登山隊はラッキーにも全員が登頂できた。ちょうど30年前の6月25日だった。山は無理だが、次はオートルートに決めている。モンブランの麓シャモニーからマッターホルンの麓ツェルマットまでの山と谷をつなぐスキーツアーコースだ。私も和代もスキーの上達次第にかかっている。






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平成19年4月1日(日)

今年の冬は休日のほとんどを和代とスキー場通いに費やした。3月25日の検定会を今年最後と決め、休みのたびに家を空けていたので、今回は母親を那須の温泉に連れて行った。帰りに日塩道路を走り、今年最後のエーデルワイスの見納めをした。2月末には雪不足でいつまでもつか心配していたが、見た所けっこう残っており、お客もけっこう来ていた。

エーデルワイスへは12月23日から3月25日まで30日以上通った。その間、和代は2回目で2級合格、私は1級を3回受けたが不合格。2月の末にコブ斜面を下までやっとたどり着く程度、事前講習で腰を低く、大・中回りでゼッケンを検定員に見せない、ターン弧を書く等、指摘されることも多く、駄目なのはわかっていたが受験、結果的には現在の自分の実力どおりの結果でした。1級は誰が見ても上手いと思える程度でないと合格しない。2回とも滑り出したら、頭が真っ白で、自然と昔の滑りが出てしまう。3回目は小回りを思い切っていってみた、感じよく滑れたが、最後にバランスをくずして転倒した。不整地小回りもモーグルのコースで大会の後で、深くえぐられており、バンクがうまく滑れず、コースアウトで散々でした。どんなコース、雪質、条件であろうと、上手く対応することが合格には必要、平均69点で全般に力不足、しかし、そんな簡単に上達する訳がない。上手なインストラクターは20年〜30年やって今の滑りがあるのだから。始めてみると山もクライミングもスキーも奥が深い。しかし、来年には何とかしたい。

シーズンが終わってみると、私も和代も苦手な小回りが少し上達し、コブも3月末には下まで何とか行ける程度になりました。それまでは、コブは遠い世界と避けていたのが、楽しく、普通に練習できるような気がしてきた。1年前のデジカメのムービー画像を見るとスキー板の上に単に乗って、おとなしく操作していた滑りだったのが、板のエッジを使う滑り、たて滑りの意識が生まれただけでも、多少は上達したのかなと思います。しかし、気がついたのがシーズン後半でした。途中からゲレンデ用のカービングスキー、靴、ストックに変えたのも良かったのかと思っている。しかし、一応二人とも2級で1級受験のスタートラインにたったので、来シーズンはもう少し上を目指したい。


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平成19年1月25日(木)

エーデルワイスの雪不足はいまだに続いている。エーデルワイススキー場・学校通い2年目である。今年の当面の目標は、和代はSAJ2級を、私は1級を目指すつもりだが、小回り不整地が難しい、というか今は先が見えない状態だ。しかし、目標を持って練習するのは悪くない。

先日はスキーの切り換え操作のトレーニング、ターンを分解すると準備期、始動期、かじ取り期があり、それぞれに適切な運動が必要になる。特に準備期でニュートラルの状態を取れるかどうかは重要。この状態が作れないと一連の動作がスムーズに出来ない。注意点としてはスキーの重心の位置は足のくるぶし、あと、小指にも力を入れること。角付けで回転の始めは内側の足を基点にして外足を前に滑らす。その時に内側の腰を緩める、膝、足首もゆるまる。雪の抵抗を受け、フォールラインに落ち込んだら、角付けをはずし、板のたわみを利用、速度をあげる(平踏みにする)。次の回転に入る際には目線に注意、進行方向に徐々に移す。後は繰り返しで、大事なのは運動し続けることとのことです。小回りはストックをすぐ横に着く。そこを支点に回転する感じ。トップを中心にスキーを滑らす(今までは単に横滑り感覚でいた)。そしてストックをついた側の内足のスキーのテールを持ち上げる感覚で滑ると良く回転する。

先シーズンからずっと、山スキーと兼用靴で練習してきたが、カービングスキーがあるといいねという、コーチの一言があり、もう少しでセール期間になると思いながら、先日は板、靴、ストックを購入した。現代の基礎的なスキー技術の習得には必要と思える。もう少し上を目指したい、二人とも今は足慣らし中であるが、良さそうである。

いつの日になるか、ヨーロッパ・アルプスのモンブランの麓シャモニーからマッターホルンの麓ツェルマットまでの全長80`におよぶスキーツアーコースの「オートルート」に行ってみたいと思っている。



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月便り(11月20日)

9月23日(土)白鴎大学と小山市陸協主催の土曜マラソン大会に和代と参加した。数年前からやっている行事で知ってはいたが参加するのは初めてだ。以前、山のレーニングで、あちこちのマラソン大会に参加していた時期もあったが、最近はとんと走っておらず、体力不足はいなめない。1人200円の参加料で走るきっかけができればと思い参加する。怪我の防止で自己流ながらウォームアップは十分に行う。最初なので3キロコースに参加、周りを気にせず、(もっとも大人の参加は少ないが)ゆっくり走る。周回遅れで、これが最後と思ったらもう1周と言われてしまう。二人とも24分34秒、これぐらいだとさすがに疲れなかった。次に10月14日に2回目参加した。この時は1周500メートルのコースを4週目からがんばる。けっして速くはないが、それなりにスピードアップした。結果は二人でゴールして17分17秒だった。タイムを7分くらい短縮した。やはり前回は1周多く走ったに違いない。頑張りすぎて1日、体中がだるかった。これからも都合をつけて参加するつもりだ。

10月6日(金)に栃木岳連主催のリーダー養成講習会の危急時の対策(事故を防ぐための知識と対策)の講座を担当した。わかっていても、1,2週間前になってからやっと真剣に準備した。あれこれ考えた結果は、平成10年に中央公民館市民講座、今からできる山歩き〜中・高年初級コース〜を担当したときにまとめた資料だった。1時間余の時間の中だが登山は、自然条件が厳しく、高地、岩場やガレ場などの見える危険と事前の準備不足(目的の山や、装備、食糧)、日程やルートの無理等の見えにくい危険が重なり合った時に事故が起きる。自然現象や、やむを得ず防げない場合もあるが、知識と対策で防げることも多いはずである。しかし、万が一ピンチに陥った時は、最大限の生存への努力をする。無事に生還する。これが登山者の義務だと話した。と言いながら、自分でも道迷いもするし、無理することもあり、自分に言い聞かせているようなものである。

10月22日(日)平成18年度栃木県民スポーツ大会のビームライフル(光線銃)競技に出場した。エアライフル競技に準じており、10b先のターゲット(標的)に光線を発射、得点を競いあう。点数は、当たった位置を標的が感知してディスプレーに表示される。銃は本物そっくりで重い。マイナーなスポーツとはいえ、元体協職員として小山市が出場しないのはさびしく、ビームライフル教室を数年来担当して関係もある。教室終了後も何人かが練習を続けていることもあり、対外的な活動場面が県民スポーツ大会なのである。自分は競技に出るのは初めてで、手は震え、狙いが定まらず個人成績は全出場者中、ビリから5,6番でした。他のメンバーも練習不足がたたり、市対抗でも最下位でした。もともと、参加することに意義があると考えていたので気にはしていません。 練習会は月2回、土曜日の午後7時から市内の幼稚園を無償で借りてやっています。道具も今のところそろっており、止めるのはもったいないので続けています。残念ながら人がいません。興味がある人は声をかけて下さい。



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平成18年7月22日
先月6月7日(水)に夜行日帰りで月山に夏スキーに行き、初めてコブ斜面のレッスンを受けました。その時のイメージが良かったのと、今年はいよいよ最後かと思い7月13日(木)に再び月山に二人で向かいました。朝方、天気予報は当たり月山インターでは雨降り、回復は無理と判断し観光に切り替えました。
和代が初めてという山寺と上杉神社に決めました。ナビは正確に目的地に案内し、感心するばかり。
立石寺(りっしゃくじ)は山寺とも呼ばれ、天台宗、自覚大師によって開基された敷地35万坪の霊場、一大観光スポットです。自覚大師円仁は下野国都賀郡壬生氏に生まれ、唐に9年間修行し、貴重な文献を残された栃木県にも関りがある偉い坊さんです。根本中堂ではおみくじを引き、坊様が腕輪念珠を勧めてくれ、安い菩提樹の実で出来た物をお土産に買いました。いつでも身に付けていいとの事でした。雨の中参道を進み、奥の院に行き、如法堂では昇殿し参拝をしました。降りる途中の五大堂は山寺随一の展望台で眺めはすばらしく写真をとりました。松尾芭蕉が「おくのほそ道」で“閑さや 岩にしみ入 蝉の声“と山寺を詠んだのはあまりにも有名です。
次の上杉神社は旧米沢城奥殿後に建てられた、上杉謙信公を祭神とした神社です。大きな公園になっており、一角に上杉鷹山の銅像と顕彰脾がありました。元々上杉家の血をひく鷹山は9代重定の養子に迎えられ、17歳で米沢15万石の藩主となりました。当時逼迫していた藩財政の建てなおしを図り、倹約、産業開発、藩校の創立、政務の革新に力を注ぎ、上杉藩中興の祖といわれ、昨今日本の行政改革の先駆者としの人気は相変わらず高いようです。アメリカ合衆国35代大統領J.F.ケネディに日本の政治家で最も尊敬するのは上杉鷹山といわしめたそうです。鷹山は“なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり”と詠みました。
さて、米沢の名物と言えば米沢牛、鯉、ラーメン等や、米沢織、一刀彫り等が有名。牛を食うぞと行くまでは、意気込むが最後は懐と相談し牛入りコロッケになってしまうのは、いつもの事だ、しかし人間がちいさいなあ?














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平成18年5月7日
今年の連休最後の日はおやま山歩き会の鳴神山の予定でした。4時頃、布団の中でどしゃ降りの雨の音を聞く。出かけても途中で引き返すようだと思っていたら、連絡網で中止の連絡がきた。登山の楽しみは天気次第だ、始めから楽しくないのがわかっているのだから中止もよい判断だと思う。

4月に人事異動があり職場が変わりました。以前経験した職場でしたが、仕事の内容は初めてなので、自分や係全体の仕事を理解するのにやはり時間がかかりそうです。時期的な要素もあり、ほとんど毎日の残業で疲れ気味です。これは異動に伴う一般的なパターンと思い、しばらくすれば慣れると思います。4年間ジャージで過ごした前の職場が懐かしく、心残りの部分もありますが、まだ考える余裕もありません。現在のメンバーでがんばって欲しいと願います。何回かの歓送迎会をきっかけに、かみさんの車の送り迎え通勤になってしまいました。

そんなわけで4月からロッククラフト(クライミングジム)に行くつもりでしたが、残念ながら、今まで2,3回しか行けません。このままでは以前の、食って、飲んでの肥満パターンに戻ってしまうので、これからは仕事の帰りに1時間でも寄ってこようかと考えています。過去1年半の経験で、クライミングは普通に練習すればどこでも登れるのかと思っていましたが、そういうものではないとわかりました。ハングや微妙なバランスを要するルートやボルダリングルートを登るには、相当程度の身体能力、バランス感覚、柔軟性等が必要です。振り返ると自分には全て不足しているばかりか、汗防止で軍手をしている始末です。これからの練習の内容としては、比較的易しいルートを数多く登り、距離を稼ぐ。軽い荷物を背負って登る。易しいルートをリードで登る。そして、ポピュラーな本番ルートを登るために訓練するという、そういう意識で練習をしたいと思います。

ところで、今年のゴールデンウィークは連休前に痛めた持病の腰痛と首の痛みが、少し改善したので4日に、かみさんと五味沢から浅草岳山スキーに行って来ました。朝4時前に出発するつもりが、目覚ましが鳴らず4時に目を覚ました。片道230`はやはり前夜発がよかった。8時45分に浅草山荘を出発した。2〜3パーティーが入っていた。上部の積雪量は多いが、沢沿いはトラバースが多く、中間部は雪庇が落ちそうだし、やはり山スキーは3月から4月上旬が良いようだ。あと一登りで前岳の稜線という所で引き返す。体力不足で踏ん張りが利きませんでした。下りはそれなりに楽しみ、3時20分下山しました。とにかくお天気と麓の桜は最高でした。

1日置いた6日は、スキーがやりたくてかみさんと丸沼スキー場に行きました。リフト券売り場を見たら、いつの間にかシニア(55歳以上)対象だと気が付きました。家に帰り、デジカメの動画でとった自分の姿を見ると髪の白さがシニアを証明していました。また、今年1月から時々撮った動画の滑りを見ると、私とかみさんも成長のあとがうかがえ嬉しくなりました。あと1年位練習すれば、この時期の雪質も楽しめるかも知れないと思いました。




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平成18年3月23日
愛犬ポチが3月14日(火)午前8時40分に亡くなりました。10日ぐらい前から咳が出るようになり、医者から心臓の薬を処方してもらい飲ませていました。咳は止まりましたが副作用からかフラフラになり、薬を止めたら少し元気になりました。3、4日前からは少し動いては倒れこむような姿を見て、悲しくなりました。2日前からは食事も取れなくなり、ほとんど寝たきりで、苦しいのか身体の向きを少し変える程度でした。時々泣き声が聞こえ、なでてやると落ち着くような様子で、14日の朝は4時頃からそばにいてやりました。亡くなる20,30分前でも横になったまま、いかにもポチらしく大きな太い声で10回以上鳴いたりしていました。私は門扉のそばでお客の相手をしていたのですが、その間、和代がつききりで見ており、1,2回心臓がとまり、最後はいったん手足を伸ばしたのを最後に息を引き取ったそうです。私も和代も悲しくて涙が出ました。

佐野市の業者に連絡をしたら、火葬してくれるという。和代が汚れていたポチのお尻のあたりの毛を切り、きれいにタオルでふいてやりました。車にダンボールを引き、シーツでくるみ、私と和代と祖母で運びました。ポチの写真と、ドッグフード、花をお棺にいれてやり、簡単なお別れの式をやり、顔を見ると安らかないい顔でした。それから館林の火葬場でお骨にして、家にあった花瓶に入れ持ち帰りました。
最近はよく家の中に入りたくて、玄関を開けると老犬とは思えない驚くほどすばやい動きをしていましたが、外へ追い出していました。今はお骨になって玄関にそっと置いてあります。ポチの死に娘もがっかりし、沖縄から帰るまでそうしておくつもりです。

ポチは平成元年に和代の同僚が実家から何匹か連れてきた犬の1匹で最初は白かったはずがいつのまにか灰色になっていました。子供たちの夏休みには毎年のように裏磐梯の小野川湖畔の庄助キャンプ場に出かけて、そこをベースに磐梯山、安達太良山等一緒に山登りによく出かけたものでした。家にいる時はおとなしい性格で客が来てもほえず、帰り際にワンと吠え、あらいたのねといわれるしまつです。高齢犬とはいえ、16年間も家族の一員として一緒に生活しており、失ったものは大きかったです。

前回、スキーに夢中になっていると書きました。12月17日のオープンの日からエーデルワイススキー場に延べ24日間通い、スキー学校に15日間入りました。私は3月21日にバッチテスト2級にやっと合格しました。詳しくは、山アラカルトに書きたいと思います。







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平成18年1月を迎え、最初の便りを起こしたいと思います。家族は私たち夫婦と87歳の母親と長男、長女の5人家族です。娘は沖縄で下宿生活をして彫刻を勉強しています。

ペットが犬、猫、金魚1匹います。名前はポチ、平成元年生まれで満16歳になり、昨年長寿犬で表彰を受けました。今は高齢で足腰がめっきり弱り、やっと歩いている状態です。門扉を閉じれば家から出られないので鎖につながず放し飼いで、それでも押売りには効果があるようです。昼間は玄関が一番暖かいとみえて昼寝をしており、玄関を開けてぶつかってもすぐ起き上がれず、仕方なく人間が勝手口から出入りする始末です。食欲だけはまだあり、それが救いかな。
猫はともじです。娘が沖縄の学校の庭で怪我をした野良猫を拾ってきたもので、段々大きくなり部屋で飼えなくなり、家に連れてきた3歳の白黒雄猫です。これが非常に大柄で母親は大きくて気味が悪いと言っています。ノルウェージアン・フォレスト・キャットの血を引いているのではと密かに思っています。ともじの尾は長く、ふさふさしており、これをピンと上に立てて歩くと風林火山の登り旗のようで実にえらそうです。これが残念ながら耳が聞こえず、危ないので外に出せません。茶の間の外でポチは人恋しくて中に入りたくていつも覗き込んでおり、内からはともじが外に出たいのか外の景色を覗いており、いつも犬と猫が顔を見合わせています。
金魚は13年位生きています。1匹だけになって大分たちます。朝は餌をくれと寄ってくるようです。
現在の最大の関心事はスキーの上達です。エーデルワイススキー場に通っています。シーズン券を購入し、スキースクールのメイト会員になり今シーズン頑張っています。結果は次の機会に紹介します。



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