岡田夫妻の山だより

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平成24年10月19日(金)


山スキー
今年の雪倉岳山スキー山行は、過去に経験が無いほどの、厳しい風雪の中での行動で、半年過ぎて顔の凍傷がやっと、きれいになってきました。登山の時期は少し早く、再訪するときは5月の連休に近いころがよさそうです。しかし、今回の経験は、4月に行ったスイス、オートルートでの悪天をささいなものと感じられたほどで、自分たちにとって、いいトレーニングになり、貴重な経験となりました。
平成24年3月23日(金)蓮華温泉オープンに合わせ、17時頃和代と自宅を出発、長野インター手前の松代Pで、車中泊とした。
平成24年3月24日(土)5時には出発し、7時にはゴンドラ駅舎前の栂池スキー場駐車場に着いた。日帰り者用の駐車場とのことだが、隅に停めさせてもらう。8時前に切符を買った、ゴンドラリフト1000円、ロープウェイ720円、片道一人1720円、定刻に動きだした。上部ゴンドラ駅に着き、そこから乗り継ぎのロープウェイ駅に向かうと1番乗りだった。頂上駅舎では、係員が、雷鳥を驚かさないように、ここから上は自己責任の世界ですからと注意をしていた。天候は雪、シールをつけ、出発した。一昨年5月に来ており、進む方向はわかっていた。前回は主に沢コースをシールで辿ったが、今回は尾根上にルートをとった。私達の前に一人だけ先行していた。降雪の中、天狗原の祠に着く。記憶を辿り、なおもヘリポートに向かう標識をさがして進み、到着した。少し尾根を下り、振子沢に入る。積雪多いが、赤テープの標識がずっと続いており助かりました。下部では新雪だがスキーがよく回ってくれました。蓮華温泉に13時20分に到着した。受付を済ますと、部屋は個室で、炬燵があり、濡れ物をぶら下げて、乾かすこともできたのでよかった。20人くらいの宿泊客がいた。明日は、雪倉岳は雪崩の危険があり、止めた方が良いとの、山小屋の人の意見。1日温泉に浸かっていてもしょうがないので、明日は下山、帰ることに決め、炬燵に足を突っ込んで寝る。夜中じゅう吹雪いていました。
3月25日(日)朝、6時に食事を済ませ、用意が出来たら出発と思っていたら、やはり我らが一番遅かった。途中、殆どの人が木地屋に向かうツアーコースに向かっていく。振り子沢には、トレースがあり、先行者がいるのはわかっていた。4時間位して、先行者に追いついた。夕べ、自分が温泉の中で話をした、京都のトライアスリートのAさんだった。一人でずっとラッセルしてきたという。この後はAさんと行動を共にしました。ルートは右寄りに進んでおり、GPSで位置確認し、方向修正をしながら赤テープの後を追う。沢の上部から悪天候のなか単独の人が下りてきたので、テープに沿って下るようアドバイスした。ヘリポートを超して天狗平の祠に出た。ここまで6時間かかっていた。雪と風が激しく、視界不良、どうにか見えるスキーヤーのためのフラッグを探して進む。一つフラッグを見つけては進み、視界のきくのを待つ、それの繰返しで、この時に顔の一部が凍傷になりました。傾斜があり、普段なら滑走を楽しむ斜面にたどり着くが、雪が深くて進まない。Aさんはスキーで歩く感じ、自分は横歩きで、フラッグを目指して進んだ。しばらく下ったところから、昨日登ってきた尾根上に進路を変える。17時を過ぎ、GPSで位置を確認すると、ビジターセンターの対面まで着ていた。なおも少しずつ歩を進め、ロープウェイ駅、山小屋を視界に捉えホッとした。17時50分にロープウェイ駅に着いたが、当然駅舎は施錠され、期待していた近くの栂池ヒュッテ、山小屋も真っ暗だった。Aさんが、スキー場のパトロールに電話をすると、そこはオフピステの領域、救助を求めるなら110番にするようにとの事。私は蓮華温泉に電話、栂池ヒュッテがやっているか確認すると、まだ開いていない、林道を下り、スキーで下るようアドバイスを受けた。しかし、林道には降り続いた多量の積雪があり、下のゲレンデも不案内だし、途中で万事窮して、何らかの理由で3人がバラバラになる恐れも感じられた。余力のある現在、ビバーク体制をとることを提案、決定した。駅舎入口は丁度風、雪よけになっていたので、ここを3人の持てる装備で整備した。一人用ツエルト、ポンチョ、ピンチシート、スキーで全部囲むことは出来なかったが、何とかなりそうだ。薄いが羽服、ホッカイロ、コンロ2台あり、コッヘルで飲み物を暖かくして飲む。食料も1日早く下山したこともあり十分だ。若干足が冷たいが、これは耐えるしかない。朝、5時に位で明るくなるだろう、座ったままの姿勢で眠れないが、Aさんとあれやこれや話をしながら朝を迎えた。
3月26日(月)パトロールに電話し、ロープウェィ会社の電話を教えてもらう。パトロールから連絡があった為か、雪上車がこちらに向かっているという、8時15分頃までに荷を整理して置くよう指示を受けた。30分ほど遅れてスキーの圧雪車が来た。林道を整地しながら来たので遅れたという。狭い運転席に3人と荷物がなんとか乗り込むことが出来た。積雪深く、傾斜もなく、昨日、進んでいてもたどり着けず、ビバークの判断は正しかったのがわかる。ゴンドラ駅まで、運んでいただきお礼をいい、運転手さんに別れた。ここからはスキーで下ったが、足元がおぼつかない、ひどく疲れているのがわかる。今日は昨日までとは打って変わった晴天でした。駐車場に着くと、車の上には、二日分の大量の雪がすっぽりと覆っていました。3人で、パトロールに挨拶に寄る、隊長から気象条件をよく考え、入山、下山するよう注意があった。今回、一人用ツエルトは持参したが、余裕を持って2.3人用ツエルトを持参していれば、もっと楽なビバークが出来たはず、GPSは大活躍で、山スキーの装備品としては必携品とあらためて思いました。やはり、スキーの腕前と体力は不足ぎみで、なんとかなるなら向上させたいと思いました。


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平成23年12月8日(木)

10月23日(日)に、一眼レフのカメラを買いました。当初はいまあるデジカメをホームページ用に和代が使い、別なのが欲しいと思っていました。最初フジファインピクス100とも思いましたが、性能はよく、凝ってはいるが一般的でない。登山中にも使うなら望遠レンズ、花を撮るならマクロレンズに変えられる一眼レフが良いという店員の意見に納得してしまいました。最近、はやりのミレーレスカメラとも考えたが、一度買ってしまえば、買い替えることはこれから出来ないと思い、あれこれ思案しながら、最近発売されたソニーのα77を買いました。2400万画素、約12コマ/秒、防塵・防滴仕様で、使いこなせない性能なのは間違いありません。レンズは18−250mmのズームレンズと100mmのマクロレンズを1本づつ買いました。使った感じは、今までのデジカメと比べて、圧倒的な画質の違い、望遠で撮った小さな被写体でも、かなり精緻にパソコンで拡大することができます。望遠もマクロレンズも使ったことはなかったのですが、花に焦点を合わせて、バックをぼかす出来栄えに満足しています。多少重いのですが、これからは山の必携品として持参して、玄関に飾れるくらいの山や花の作品を撮影できればいいなと思います。図書館にカメラの本があるので、借りて読んでみるつもりです。そんな訳でザイル祭での神社のお祓いでは、山を楽しむ装備としてカメラにお祓いをしてもらいました。
11月25日の丸沼高原スキー場のオープン日に初滑りに行きました。母が入院しており、昼に姉が病院に行くので、朝、9時に出発、16時に帰る予定で出かけました。鹿沼インターから自動車道、宇都宮から日光道で湯元に来ると積雪があり、金精トンネルを抜けると真冬のスノードライブになりました。11時を過ぎていた為、オープンの行事は終わっていました。今年は2コースがオープンし、2時間位でしたが、5・6本滑ってきました。お昼に食べた田舎ラーメンも美味しく、また久しぶりの雪の感触はいいものでした。来年の4月に和代とヨーロッパのオートルートに行く予定でツアー申込も終わっているのですが、今シーズンどの位行けるかわかりません。今年は本格的に始めて7年目になります。雪道も相当走りました。今乗っているパサートの4駆はタイヤの径を大きくしたため、チェーンは着きません。しかし、雪道走行性能を完璧信頼しており、不安なくどこへでも行けます。前部座席のヒーターは濡れ物も乾かしてしまうし、ワイパーも冬用に変えてあり、吹雪にも強いと思います。定期点検も済ませ、準備はOKなので、寒波を期待しています。沢山行ければいいのですが。

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平成23年10月1日


9月24日に車の後部に荷物を積もうとした時に違和感があり、腰を痛めた。少し前に大阪への往復1300キロの長距離ドライブの疲れと、前日に和代と丸沼高原スキー場のプラスノースキーで転んで腰を少し打ったのが原因かなと思う。今年は4月にあって2回目、持病のようなもので、いやになってしまう。この腰痛はいつ起こるかわからず、もしオートルートの山行中にでも起こったら目も当てられない。8月のニュージーランドの前にある程度体力強化に努めたが、帰ってからは暑くてだれてしまい、ろくに身体を動かしていないのが悪いのだろう。腰痛予防は多分、腰を支える筋肉、腹筋を強化するのと、やろうとする運動に必要な全般的な体力維持と体調管理だと思う。この他に、人間ドックの延長で神経内科に受診し、脳梗塞を起こして救急車で運ばれて来ないで下さいねと言われ、検査結果によっては服薬をするつもりでいる。タバコは止めたが、酒はやめられない。今は週2日の休肝日を設けてはいる。食事(油、塩分)と運動に注意。たまに山やスキーに行くだけではだめなようです。60歳になり、身体のあちこちにガタがきていますが、少なくともあと10年は元気にいたい。

10月になり、そろそろ雪の便りが聞こえてきます。来シーズンに向けて、山スキーの道具を新調、注文してあります。板はK2ブライトン、和代はオガサカPG-8.0、靴はスカルパマエストラーレ、和代はスカルパゲア、金具は2人ともディナフィットクィックステップTLTにしました。二人で来春にオートルートにいくつもりなので、道具では誰にも負けないように、相当気張ってしまいました。板と、靴は実際に履いてみないと、自分に合うかわからないところですが、早く慣れるようにしたいと思っています。スキーは平成17年度のエーデルワイススキー場から始まり、ハンターマウンテン、苗場スキー場と6年間、通いました。和代は級なんかといいますが、私は1級の合格証をもらいました。

以前から欲しいと思っていた、1959年トニーザイラー主演の「白銀は招くよ」のDVDを手に入れました。トニーザイラーは1956年コルティナダンペッツォ(イタリア)冬季オリンピック史上初めてのアルペン三冠王です。20代半ばで引退し俳優に転身、スキー映画に主演して人気を博しました。内容はたわいもないアルプスの警官フロリアンと12人の娘たち、リーダー役のエファとの、ラブロマンスなのでしょう。チャチャチャのリズムのウェーデルン、片足スキーでの滑走シーンもあり、楽しめました。

家の猫のともじにミドルネームをつけました。腹ペコのペコです。かつおぶしが大好きで、和代の顔をみると、あれはどうしたと、まとわりついて大変です。くれないでほおっておくと、タックルをかけて、噛みついてくるほどです。耳が聞こえず、外に出せないので、腹をなめて、真っ赤ですがしかたありません。





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平成23年4月27日(水)
  

和代とスキーを本格的にはじめてから、エーデルワイスに3年、ハンタマに1年、今年苗場2年目で、6シーズン目になりました。今日現在で、苗場に都合9日間で、10回に届かず、東日本大震災の発生もあり、残念ながらあと1回でプリンスホテルのパエリアを食べ損ねてしまいました。あとは、高畑、ハンタ、岩鞍と猫魔からラピスパへのツアー、24日のかぐらスキー場の5回でした。スイス、ツエルマットスキーツアーは別に書きます。

その中で、スキーショップの講習会に1月16日のハンタマ、2月19日の岩鞍に都合2回参加しました。指導者のFさんは、私の知る限り、基礎、競技両部門で県のトップクラスにいる方で、どんな滑りか見てみたいと思っていた人で、結果は思ったとおり技術、指導とも大変よかったと思いました。特にショートターンは絶品でした。指導についても、Fさんは、一目私の滑りを見ただけで、欠点を指摘しました。この時の、凍った急斜面での繰り返しの講習はツエルマットスキーの経験に活きました。

2月13日に山岳会の猫魔スキー場からラピスパ磐梯へのスキーツアーに参加しました。この時は、久し振りの山スキーで兼用靴の靴下選択を誤り、右足の人差し指、左足の親指、人差し指の爪を傷めてしまいました。未だに黒く、そろそろ生えかえるのではと思っています。今年は積雪が多かったのですが、残念ながら思ったほどスキーは回ってくれず、最後の急壁は腰が引けてメチャクチャで、我ながらがっかりしました。

4月24日(日)4時過ぎに起きだし、かぐらスキー場に和代と向かいました。北関東道が貫通したので、東北道栃木ICから岩舟ジャンクション経由で初めて北関東道に入りました。かなり時間短縮になったと思いました。今日はツエルマットいらいの、久し振りのスキーでした。上部ゲレンデへのリフトに向う途中で転倒した。春の雪なので、ちょっとしたスキーのばらつきに、エッジが引っかかり、後ろ向きに頭を打ちました。ダメージがあり、これはヘルメットが必要だと、この時はじめて感じました。9時半には和田小屋で休憩する。シーズン中、いつも混んでいたが、この時間は誰もいないので、靴を脱いで、ケーキと飲み物をいただく。第5リフトから少しオフピステに入り、丁度ゴンドラステーションあたりにおりて来ました。お昼に上がる。今、自分の靴が古くなった、板の幅が狭いとか理由をつけて、山スキー用具を新調したい思いにかられている。ステーション駅のパウダーステーションで山スキー兼用靴を履いてみる。是非買ってみたいが、どれがよいか思案のしどころだ。TLTビンディングが最新のようだ。板も欲しくなる、一式揃えるとかなりの金額になりそうだ。

さて、今日、スキーを早く上がったのは、水汲みが目的の一つでした。関越の帰り、谷川岳パーキングに着くと、運よく水汲みの人がいなかったが、自分たちが汲み終わるころ、人が増えてきました。水といえば、少し前に、防災用品でペットボトルの水がなくなるという騒ぎがありましたが、家には谷川の名水がたっぷりあり、どことなく満足でした。16時前に自宅に戻りました。






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  山スキー日記(2)


平成22年6月7日
今年のスキー滑り納めは5月9日(日)に神楽スキー場に行きました。都合神楽に8回、苗場スキー場に11回行きました。午後吹雪で半日帰りが多かったが、シーズン券のもとは十分とりました。山スキーも8回行けたので満足でした。今年もスキースクールに何度か入りましたが、なかなか上手くなりません。また、来シーズンに期待したいと思います。

3月28日(日)
大混雑の第5リフトから上部へ。今日は和代が希望する、霧ノ塔までが目標とした。神楽への稜線手前から右へトラバース気味にシール登高、後方にスキースクールのヤッケを着た集団が来る。途中の鞍部からボーダーのグループが沢を滑降していくのを見送る。ここは良さそうだ、ピークを踏んでからここを下ろうと話す。ピークを2つ越して、霧ノ塔に立つ。広い場所もある。ヘリスキーのちらしに霧ノ塔とあった、多分ここなのだろう。下りにかかる頃からガスが出てくる。ボーダーのいた中尾根の左の沢(清八沢?)を下降した。ガスが濃くて前後左右の感覚があやしい。下に来るとガスが薄くなってきた。後から数人のボーダーがやってきた。ゲレンデの音が聞こえ、丁度ゴンドラ駅の所に出た。

4月11日(日)月山〜湯殿山スキー場
前日の夜、鹿沼のH邸に向う。下山口が離れているので観光バスを仕立てて出発、バスの強みで、走り出してすぐビールを飲み出し、自動車道のパーキングでテントを張る。月山スキー場は昨日(10日)オープン、姥沢小屋まで板を雪上車で運んでくれた。総勢13人、天候は小雨、ガスだが出発する。柴灯森(さいとうもり)目指してトラバース、月山に向うパーティーがガスの中に見える。柴灯森はガスの中、よく見えないやせ尾根を滑り出す。その先の1619mから3つのルートがあり、左に品倉尾根、沢コース、我らは鳥海を眺望できる右の尾根コースがよいらしい。途中からガスが上がり始め、鳥海も望める。確かに眺めも最高でした。雪質もよく、皆それぞれ楽しめました。途中皆の滑りをビデオに納めた。濁川を越すと、あとは湯殿山スキー場目指して滑らせる。晴れていたのでよかったが、ガスの中では注意が必要か。途中、休みながら13時27分にゲレンデトップに着いた。ここは確かに好ルートで、また来たいと思いました。足の便が今ひとつ。

4月25日(日)
今シーズン3度目の神楽峰、今日は、前回頂上で一緒になった人に聞いた、峰の頂上直下から右の尾根の反射板を和代と目指した。9時40分第5リフト、10時30分稜線、10時44分頂上、5分ほど休憩して下降を開始した。天気がよく、ボーダー、スキーヤーも尾根左下のオフピステを滑ってくる。途中から田代かぐら間のコースが見える。11時30分に田代のリフトの上部に出た。ここは積雪量が多く、自己責任の世界だが、どこでもルートになってしまいそうだ






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平成22年3月29日(月) 山スキー日記


ゲレンデ(基礎)スキーに行き詰りぎみです。山スキーで気分を変えました。久し振りに山岳会員の板を見ると、皆カービングになっていました。私たちは、古くなった、シールを新調したばかりなので、当分替えられません。今シーズンは格安ビデオを購入しました。何度か使ってみるが、面白い。但し、雪面では明るすぎてか、対象が液晶画面に見えない欠点がある。

2月14日(日) 猫魔スキー場からラピスタ裏磐梯への初級者コースの計画がホームページに載っていたので参加した。私達とNさんは朝方出発、五色沼駐車場入口でおち合い、スキー場に向かう。全員で9名だが、1名はゲレンデトレーニングで8名の大人数だ。ゲレンデトップから滑降が始まる楽々コースだ。9時18分、滑り出してびっくり、雪質はパウダーでターンが気持ちよく、申し分がない。天気もよく、最高の条件でした。リーダーは何回か来ているが、時々GPSで現在地を確認する。

10時12分に雄国沼に到着した。小休止、シールをつけて、氷結した湖面を避難小屋に向かった。10時40分、立派な小屋に着く、広々した小屋で食事を取る。ここから雄国岳に向い、シールを効かせて、今日始めての登りです。尾根上から下を見ると、数パーティーが小屋に向かっている。

11時40分雄国岳に到着した。今日はビデオを持参、後から撮影したが、頂上には木の見晴台があり、ここからもビデオをまわす。ここからは滑降するのみ、途中2箇所ほど撮影ポイントがあり、先行して撮影した。雪の斜面では画面に映らず、見当をつけて撮影したが、まあまあ、写っていた。最後の急斜面も全員無事に降りてきた。14時過ぎにラピスタの見える安全地帯に到着、途中からタクシー会社に電話を入れており、丁度良く到着、猫魔スキー場に戻れました。

2月20日(土) 以前菅平ダボススキー場から往復した根子岳に、今回は牧場からの往復を目指して和代と出かけた。出発地がわからず、早くもGPSで現在地を確認、修正して到着。駐車場は2,3台で単独、2人パーティーがいた、8時50分に出発した。
牧場の脇を通っていく、天気はよい。しばらく進み、林間は狭く下りの滑りが気になるところだ。苗場、かぐらと比べるとだいぶ雪が少ない。途中、左手のダボススキー場から根子岳に向かう赤い雪上車が見える。
このところ、歩いていなかったので、疲れ気味だ。頂上直下は風が強いためか、雪のつきが少なくてカリカリだ。

11時28分に頂上に到着、雪上車利用者が多いためか、ゆうに20名以上がいた。11時51分に下山開始、滑り出すと思ったより雪質がよく、ターンはスムーズだ。交互にビデオを撮りながら下る。
林間は小回りが得意な和代が先行する。ルートを選べばなんとかなるもので、12時50分に出発地の牧場駐車場まで、ずっと滑ってこられました。

2月28日(日) グランデコから西大巓往復に山岳会で行きました。
早朝に出発し、グランデコスキー場に集合した。準備をしていたら、なんとストックを忘れた。和代は会員から、私はレンタルした。
天気は曇り、時々小雪だが、視界は悪くはない、リフトを乗り継ぎゲレンデトップでシールをつける。初めてではしかたない、シールを前後反対つけた人がいる。

9時23分歩き出す。先行はいない。我々は少し左により過ぎたようだ。トラバースを繰り返し、やれやれ11時36分に西大巓山頂に着く。
途中、途中で別れた、スキーアイゼン装着組には少し待たせたようだ。20人以上のひとがいる、往復する人がほとんどだ。

11時49分下山開始する。滑り出しはガリガリに凍り気味だが、少し下るとやわらかくなる。斜滑降中心で安全に滑る。ルートは南西方向に向い、雪の程よい斜面があり、皆それぞれ楽しむ。後は南方向に向かう。途中、数パーティーと前後する。後は皆、それぞれの技術に応じた滑りで、樹林帯を通過していく。後半は程よい雪質で皆滑りを楽しむことが出来た。
11時42分にゲレンデに出た。このコースは初めてだが、また来てみたいルートです。

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平成22年1月1日 謹賀新年 今年も宜しくお願いいたします。

昨年、県南地区山岳協議会が派遣したパルチャモ登山隊とエベレスト街道トレッキング隊は平成21年11月13日の大内登山隊長の帰国により全員が無事に帰国することができました。

登山隊の目標はパルチャモ(6,273m)でネパール東部、ロールワリン山群東部。穏やかな山容で知られ、人気の高い高峰です。トレッキング隊の主目的はゴーキョ・カン(5,483m)でクーンブ山群西部。ナムチェ・バザールの北18kmに位置する。山頂からエブェレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユー等の展望が素晴らしい、ヒマラヤの展望台と言われています。トレッキング隊員3名はゴーキョ・カンに登頂し、両隊の隊員はエベレストビューホテルからのエベレストの眺めを堪能することができました。穴原隊長のトレッキング経験は4回、手束氏は2回、大木氏は初参加でしたが、天候に恵まれて、経験豊富な隊長のペース配分のおかげで全員予定のコースを楽しむことが出来ました。11月8日(日)に3人とも元気に無事に帰国することができました。

10月4日の壮行会で6000m峰といえども十分気をつけてくださいと、実行委員長として話をしました。登山隊は1名が手の指に凍傷を負いましたが適切な処置と対処により事なきを得ることができました。10月30日(金)の登頂日の天候は、視界はよいが強風と低温で気象条件が厳しかったようです。受傷により、登山隊は急きょ下山、ナムチェでチャーター機を手配、カトマンズの医療センターで治療を受け、専門医の受診を勧められ、渡邊隊員が付添い、急きょ11月2日(月)に帰国しました。

私と和代と古内夫人の3名が成田空港へ迎えに行きました。前日、理事長に凍傷専門医の所在確認をお願いしておきました。成田に到着した2人の意向は、すぐにも受診希望とのこと。理事長、前栃木岳連所属のK医師の協力を得て、横浜戸塚区在住の専門医のK医師に連絡を取ることができましたが、残念ながら時間が間に合わず、当日の診察は断念しました。その後、5日間入院し、血管拡張の点滴治療を受けました。その後、それ以上の治療は必要ないとのことで、特別な障害が残らなかったことは不幸中の幸いでした。

県南地区山岳協議会の海外の歩みを少し、書いておきます。海外への派遣は(1)1996年(平成8年)のインド・ジャムアンドカシミール州のヌン峰(7135m)に創立20周年を記念して梅山隊長以下9名の隊員と3名の支援隊の組織により派遣し、7020mに達しました。(2)2001年(平成13年)にガッシャーブルム2峰(8,035m)に12名の隊員と4名のトレッキング隊を派遣しました。栃木県岳人初めての8千m峰に7名が登頂しました。(3)2003年(平成15年)にクーンブ山群中北部アイランドピークに3名、クーンブ山群南部メラピーク(6,461m)に2名を派遣しました。(4)2004年(平成16年)ネパールとチベット自治区との境、クーンブ山群西部チョー・オユー(8,153m)に2名、トレッキング隊4名を派遣しました。7500mが最高到達点でした。  (5)2007年(平成19年)にパキスタン、マッシャーブルム(7,821m)に4名とトレッキング2隊10名を派遣しました。6750mが最高到達点でありました。トレッキング隊員1名が病死と残念な結果もありました。

国内の山だけでは飽き足らず、海外への挑戦はまだまだ続くと思います。1歩1歩着実に進めていきたいと思います。つきなみですが、今後も県南地区山岳協議会は安全登山を第一として、さらなる高みをめざし努力をかたむけ、新たな登山活動を展開していきたいと考えています。

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平成21年7月20日

 
山岳会で山の勉強会をやりました。私は気象を担当し、その中の一部、四季の天気の特徴をまとめてみました。

春山(3月〜5月) シベリヤ気団(大陸高気圧)の勢力が弱まり、移動性高気圧と低気圧の通過が頻繁で、周期的に好天・悪天がめぐってくる。晴天の日は登山日和となるが、一時的に「西高東低」の気圧配置で悪天になると、冬と同じになり、時に2000m以上の山では厳冬と同じになる。
 「立春(2.4)から春分(3.20)までの間に、低気圧が日本海で発達し、強い南よりの風が吹き、気温が上昇するする現象」を春一番、早めの避難が肝心。二つ玉低気圧の通過に注意。5月に入ると、寒冷前線を伴った日本海低気圧が急速に発達しながら通過する時に大荒れの天気(メイストーム)があり、山では注意。

夏山(6月〜8月) 梅雨は北のオホーツク海高気圧と南の北太平洋高気圧の勢力争いで、停滞前線(梅雨前線)が活発になる。6月中旬から下旬に一時的に晴天が続く、梅雨の中休みがある。6月下旬から7月上旬は最盛期で太平洋高気圧の勢力が強まると気温が上昇、蒸し暑さが加わる。7月中旬から下旬には梅雨前線が北日本方面に北上して関東以西が梅雨明けする。この時期の集中豪雨に注意。梅雨前線が北上し北海道より北に去ると、天気は回復し、太平洋高気圧の圏内に入り、日本付近は南高北低の気圧配置となって好天が続く。6〜9月は台風に注意。
 雷の季節 夏に発生しやすい熱雷は夏の強い日差しを受けて発生する。地面付近の湿った空気が熱せられ、上昇気流が発生して積乱雲が発達して雷が発生する。熱雷は起きる場所と時間が大体決っていることが多い。
 
 秋山(9月〜11月) 台風の到来が多く、9月1日頃を210日といって台風がくる確立が高い。9月中旬から10月上旬にかけては秋雨(秋りん)前線が日本付近に停滞し悪天の日が多い。秋雨前線に台風が加わると、大雨になる。その後、移動性高気圧が来て秋晴れとなる。この移動性高気圧は2日ほどで通過するので秋の空は変わりやすい。11月になると木枯らしがはじまる。ときどき気圧配置が西高東低になり、冬型の気圧配置になる。
 発達する低気圧のあとに寒気を伴った高気圧が来るときなどは、一時的に山は冬の状態になる。秋はミゾレといって丁度氷水の溶けかけが降ってくるような状態から始まる悪天なので、この時季に遭難した例は多い。

 冬山(12月〜2月) 11月中旬になると、冷たい北よりの季節風が吹きはじめる。アジア大陸の東部に大規模な高気圧が、一方アリューシャン付近には大きな低気圧が発達する。これが西高東低の気圧配置である。日本海側では曇りの日が多くなり、太平洋側では晴れる。
大陸の高気圧から吹き出す風は、はじめ非常に冷たく、大陸では−3℃以下で乾燥している。その風が5〜10℃と暖かい日本海の上を渡って来るうちに、水蒸気を吸い変質していく。季節風は日本海で下層から温められ不安定となり、上昇気流が発達して雪雲(積雲が発生、積雲が発達して積乱雲となる)ができる。この雪雲が日本列島を南北にはしる背梁山脈にぶつかって日本海側に大雪をもたらす。台湾坊主、二つ玉低気圧に注意。


先週、北海道大雪山系トムラウシ山と美瑛岳で単独を含む、二つのツアーで10人が死亡しました。悪天候による遭難と言われています。山の天気を学ぶことは大切です。

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平成21年5月18日 

2009年スキーシーズンの結果は
ハンターマウンテンスキー場のシーズン券を買い、足を運んだのは都合16日間でした。土日は駐車料金が無料であり、券を出す時の優越感もあり、とりあえず、元は取ったという感じです。グランデコ、マウントジーンズ、たんばらは東急系列で1日券が千円でお得でした。高畑、サエラ、丸沼、エーデル、菅平とあわせて10日間、山スキーは根子岳、西吾妻、燧ヶ岳、白馬金山沢、月山、鳥海山に行きました。計32日間、和代はスキー協会のツアーに不参加なので30日間になりました。

とまりで行くのが困難な関係で、ずっと回数にこだわり、このシーズンも年齢の割にはよく行きました、しかし、12月は雪不足でそれほど出来ず、日帰りばかりで、むやみに行っても疲れが残っているとすぐ、帰りたくなり、せっかく行っても半日の時が多数あり、相変わらず効率がよいとはいえなかった。また、今年は板とウェアーを新調したものの、1月の初旬にジーンズのコブ斜面で、腰に違和感があり、その後、ずっと腰痛を引きずってしまいました。シーズン前には、インラインスケートでの練習、ビデオでのチェックも一応やってはみました。しかし、遊びでなく、或る程度のレベルを目指すには、シーズンを通して、スキーを操作する体力、身体の体型から骨格、柔軟性、筋力、持久力など身体づくりが重要、自分の場合には特に腰痛対策が必要と、遅まきながら4シーズンを経験して、考えています。

ハンタマのスキースクールで何回か教わりました。同じようなレベルだと、必然的に同じコーチが担当することになるのがわかりました。これは、エーデルでも同じでした。注意点のいくつか、身体を先行させすぎ、足とスキーが離れていると圧が伝わらない。小指を中心にして反対足で外側に加重する。膝を曲げ、エッジを倒し、前方を見る。自然に曲がってくるまで待つ。

スキー技術は、少しは上達しているとは思うが、なかなか上手くならない。スキーも登山と同じくらい奥が深いようだ。三浦敬三は95歳を超えても、もっと上手くなりたいとテレビの番組で言っていた。今年は山スキーにも行ってみた。頂上を踏んでくるのは、山やなので、気分上々だ。下りの滑降は不満足ばかりだが、根子岳、月山はすごくよかったので時期を早め、また行きたいものだ。
来年は仕事の関係で、平日には行けそうもないが、苗場スキー場通いを密かに計画している。



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平成21年1月17日


2009年スキーシーズン
過去3シーズンエーデルワイスに入れ込んできたが、結果が出ず、もう1年基礎スキーに賭けてみたい、和代とハンタマのシーズン券を買った。ショップを覗き、欲しくなり、二人のウエアも新調しました。いい道具を使っても上手くならないとは判っていても欲しくなり、ボーナスをあてにして私だけオガサカU2を買ってしまいました。という訳で、今シーズンはハンターマウンテンスキー場に賭けることにした。12月27日にパサートの車検も終了し、スタッドレスタイヤも履き替えた。準備は全て整い、12月2日初滑りいらい回数を重ねている。

板の操作性は前より良い感じだ。ウエアはブルー系で、少しは年齢より多少は若返った。しかし、必ず腰痛予防のサポーターなくして滑れず(いつ腰痛が起こるかわからない)、ゆがんだ骨格は直りようもなく、首の凝りは常にあり、ひどい時には整形外科処方の痛み止めの薬を禁酒して、飲んでいる始末である。何で今さら、もっと楽しんで滑ればいいじゃないのと言われる。自分でもやりすぎかなと感じる時もあるが、いずれ、出来なくなる時が来る、今はもう少し高みを目指したい。
 
9月にアマチュア無線機のアンテナを買った。2階のベランダに設置可能なものと思い、いろいろ調べて、あまり一般的でないEHアンテナにした。ベランダに足場用の鉄パイプを買い頑張って、やっと組み立てました。10月に頼んでいた無線機がきた。とりあえず、交信を聞くことは可能になった。その後、友達に教えてもらったりして、送信を送る段になり、アンテナの調整が上手くいかず、行き詰っている状態が続いています。取り扱い説明書を読んでも分らない(読んでいない?)。
機械に弱く、パソコンもGPSもほんの少しの性能しか使っていないと思います。なんとかなればいいなと思っています。




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インラインスケートと無線 (平成20年7月24日)

5月17日(土)から体育協会主催の全4回のインラインスケート教室に参加しました。以前スキーのトレーニングにインラインスケートがよいとの記事を雑誌で見たのがきっかけでした。受講してみると、スケート協会の指導者の皆さん、インラインホッケーを楽しんでいる姿は、スケートが大好きという感じで、女性を含む若い人達の休みの日や夕方の練習風景を見るにつけ、スポーツにメジャーもマイナーもないと感じました。思川緑地のホッケー場が輝いている感じです。結果は3回受講し、昔スケートをかじっていたのと、スキーに通じる部分があるのか、楽しかった。

スキーをやる人もおり、練習に取り入れるのも好いよと言っていました。熱しやすく、冷めやすい性格の自分としても、これは好いに違いない、自分の道具を持たないと駄目だと感じ、プロテクターとあわせ、ハーベストのスポーツショップで6月13日に購入した。

以来、思川緑地の周回コース、約2.9kmを朝方、周回し、最後にホッケー場で回転を練習しています。宮下征樹の「スキーのためのインライントレーニング」のDVDを購入しイメージトレーニングにも励んでいます。
6月28日(土)パワーズでスキーニューモデルの発表会があり、自分たちの板は2シーズンなので、まだ買えずチュ―ンナップを頼んできました。
7月5日、丸沼のサマースキーがオープンした。インラインとサマースキーでトレーニングは万全だと、一人で勝手に満足しています。

7月19日(土)母の親の墓参りに東京の染井霊園に車で出かけた。そのあと中野に母の二人の妹がおり、ひと時を過ごしてくるのが母の楽しみだ。今回、娘も東京の親戚を訪ねたことがないので行くという。ひとしきり話したあと、我々は電車で浅草見物に出かけた。外国人の観光客が多く、参道の店の混雑さにあきれる。駅の近くの洋食屋さんで食事をした。はやっているお店にはどんどんお客が入ってくる。お味はまあまあか。

帰りに秋葉原の無線機のショップに行く。アマチュア無線の資格をとったが、まだ、ハンディ機以外の経験がない。店に入ると色々な無線機の関連のグッズに目移りがして、見ているだけで楽しくなる。無線機は買えないが、モールス電信の練習用のエレキーを買った。今どきモールスははやらないらしい。
しかし、自分が3級をとったのも、CWに興味があったからでした。
どれだけ続くかは後のお楽しみです。

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平成20年4月21日


栃木県南地区山岳協議会 
平成20年3月29日に開催した栃木県南地区山岳協議会第34回(平成20年度)定期総会の役員改選で私が会長に選出されました。最初に前役員からお話があった時にムリムリ、他の適任に方にして欲しいと一旦はお断りをしましたが、引き受けることにしました。県南地区の仲間や役員の方々はこの協議会を自分の会と同様に考え、運営に暖かい協力が得られるに違いないと思ったからです。いずれにしても、当協議会発展のために微力ではありますが、尽くしていきたいと考えています。

省みれば、栃木県南地区山岳当協議会は1975年4月6日に当時県山岳連盟副会長、栃木山岳会顧問だった故癸生川光一先生の主導により、県南地区にあった各山岳団体に呼びかけ、(1)山岳知識を深め、(2)山岳技術を磨き(3)人と人とのつながりを強める、この3点を柱に、遭難救助に関して助け合う、このような趣旨で発足した協議会はもちろん栃木県では始めての試みでした。発足後は、講演会、救助訓練、岩登り競技会等を開催してきました。この県南地区の結束は、80年の栃木国体の成功を導き、野中さん、速水さん達の若いリーダーが中心になり海外登山に目が向けられることになりました。しかし、同年12月に谷川岳東尾根において6名の遭難事故が発生し、以来11ヶ月にわたり、延べ2千人を超す捜索活動の末に翌年の11月4日、谷川岳に冬が訪れる直前に最後の一人を収容するという劇的展開を忘れることは出来ません。

近年においては、93年に協議会に海外研究会が発足、96年には20周年記念の登山隊をインドのジャンム・アンド・カシミール州ヌン峰(7135m)へ梅山隊長以下8名と3名の支援隊を組織することが出来ました。この時の最高到達点は7020mでした。2001年には創立25周年記念事業としてカラコルム山域のガッシャーブルムU峰(8035m)に登山隊12名と学術調査隊4名を派遣することとなりました。7名が県内初の8千m登頂者になりました。その後も2003年にネパール・メラピーク(6476m)、2004年にネパール・チョー・オユー(8153m)、昨年2007年にはパキスタン・マッシャーブルム峰(7821m)に登山隊4名とトレッキング隊10名を派遣しました。登山隊は6750m迄ルートを伸ばしましたが登頂はかないませんでした。
癸生川先生が56年度迄7年間、塚田さんが62年度迄6年間、茂呂先生がH9年度迄10年間、赤塚先生がH19年度迄10年間会長を務めました。私に何が出来るかわかりません。しかし、準備だけは怠りなく備えなくてはいけないと思っています。以上、とりあえず振り返ってみました。

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スキー訓練(11月24日)

随分ご無沙汰していましたが、昨年の11月以来の更新です。6月7日、月便りで5月の丸沼高原スキー場で腰を痛めたと書きました。また、2月の転倒以来、整形外科に継続受診中(いまだに掛かっている)ですが、一向にスキーの熱は冷めず、スキー訓練について書こうと思います。

昨年(2006年)の夏に丸沼でサマースキーを2回程やりました。プラスチックのブツブツしたマットを敷き詰めたゲレンデで転ぶと痛いが、結構面白いと思いました。冬の板でも可能ですが、板を傷めるので、専用の安い板が欲しいと思いリサイクルショップやインターネットで捜したが見つかりませんでした。ふと通りかかった、登山用品店の裏手に中古スキーが粗大ゴミのように沢山置いてありました。その中から1m70aと1m50cmのものを探し出し、店の人にサマースキー用に欲しいと話したら持っていっていいよと言われ、ありがたく頂きました。

今年7月14日オープンに合わせ初すべり?台風4号の悪コンデション(関係ないか)、転倒し、右腕がずる剥けになりました。それからは出来るだけ転倒しないよう心がける。7月から9月30日迄に15回行きました。回数でいくとシーズン券でも元を取ったかもしれない。確かに入れ込んではいるが、滑るのは3〜4時間程度か、残念ながら集中力と体力が続かず、若者のようにはいきません。丸沼には温泉の休憩所があり、弁当持込が可能でお昼は何時もそこを利用しました。また、行くたびに同じ顔ぶれが多いのには驚きました。私と和代のレベルでは、練習方法も解らず、斜面を滑る感じを持続するのと、体力養成が出来たかなという程度。貰った板はそれなりに滑ってくれましたが、和代の板は終盤の転倒により滑り止めが変形、なんとかシーズン最後まで使うことが出来ました。

10月には、サマー用の安い板が欲しくなり、それぞれ、板と金具で2万円位の物を購入しました。11月3日に富士山の御殿場口のすぐ近くにある、スノータウンイエテイに初すべりに行く。二人とも、冬の板はメンテナンス中で、先日の板を初使用。お天気も良く富士山の眺めが素晴らしく、あの景色を見るだけでも価値があると思いました。帰りには富士山の登山口に寄り偵察しました。11月10日、丸沼のシーズン初日に出かけるが雨降りで、コンデション不良、子供たちのお囃子や餅つき大会があり、あんころ餅とトン汁は美味かった。18日に冬タイヤに交換して、22日(木)、23日(金)に丸沼に出かけた。両日とも冬の寒波から、金精トンネルを越えると11月とは思えぬ程の雪道ドライブでした。練習により今まで出来ないと諦めていたようなコースにトライする気持ちが持てるようになりました。今年もエーデルワイスのシーズン券は申し込んであり、がんばるぞ。


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山アラカルト(11月)

11月5日(日)藤坂ゲレンデに行く。出発が都合で遅れてしまった。このゲレンデは2,3ピッチ登り、懸垂で下降するルートが多く、フリークライミングのゲレンデである。もちろんトップロープでも、自由にルートを選んでも可である。設定は自分たちには難しく、やさしいルートは少ない。しかし、今までに4.5回来ているし、今日はルート図を参考に積極的にチャレンジすることにした。メインストリートから赤茶坊主、ここは一度トッポロープでトライしており、テンションをかけながらであったが、上に抜けることが出来て嬉しかった。続いて和代がクラックアラカルトをリードする。セカンドで登ると、えてしてA0になってしまう。トップで行くにはやはり気合が入らないと駄目だと思う、今日は自分の力にみあうルートを選択して実践するという意味で今までにない収穫があった。

11月11日(日)加須市の体育館のクライミングデーに出かける。行って見るとロッククラフトの仲間が沢山いて安心した。このボードには、前から来ていた。平成11年国体関東ブロック大会のクライミング競技会の時は審判だった。この時フリークライミングはほとんどしていなく、競技の内容、運営、ジャッジの方法を勉強しました。その後、埼玉国体とジャパンカップを観戦しました。今回初めて比較的易しいルートを教わり、12メートルの壁をリードして登りました。めったにヌンチャクにクリップしないので力が入り、私は2,3回テンションをかけてヘトヘトになりながら登りきる。その後2本トライするが、和代は結構うまい。私はあいかわらず、ホームセンターで200円のゴム着き軍手で登っており、周りからは変なおじさんと思われたにちがいないと思います。

先日クライミングシューズを硬軟2足ボリエールのクラックスとジョーカーベルクロに取り替えた。前の二足が傷んできたので思い切って代えました。ロッククラフトへは平成16年の4月に和代が、私は5月から行きだした。今年の冬のスキーシーズンを休み、2年余りが経ちました。結構自分ながら夢中でやってきたので、最初は登れなかった壁が段々と少しずつ登れるようになってきました。先月17日には少し前まで登れるとは思っていなかったルートが登れてすごく嬉しくなってしまいました。しばらく前から汗かきがひどくてゴム軍手を使い出した。それまではチョークをやだって程使っていました。ハンデには違いないが、使ってみて、慣れとは恐いもので、そこそこ登れるようになったのには驚いた。まあ、自分はフリークライマーではなく、アルパインのトレーニングと考えてはいますけど。昨年は谷川の南稜、今年は南ア北岳のバットレス第四尾根、来年もクラッシックルートを和代と登りたいと思っています。

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谷川岳(9月22日)

9月17日(日)に県南地区山岳協議会集中山行で天神尾根から久し振りに二人で谷川岳に登ってきました。家に帰り、昔市民ハイキングで谷川岳のしおりを作ったことを思い出し、見つけました。何処かの抜粋ですが、一部を掲載したいと思います。
「谷川連峰」
谷川岳は双耳峰である。岳を中心として、北は清水峠、西は平標までを呼んでいる。トマの耳(1,963m)からオキの耳(1,977m)を経て、(このあたりの方言でトマはトバ口、口もとの意、オキは沖、奥というほどの意味である。)一ノ倉岳(1,974m)、稜線はここから西におれて茂倉岳(1,978m)に、茂倉から岩稜は向きを北に変える。しだいにおだやかになり標高を低め、武能岳(1,760m)、蓬峠、七ツ小屋山(1,675m)を隆起させて清水峠へと落ちこんでゆく。一転してトマの耳から西へ辿ると、マナイタグラ(もとはこの爼ーを谷川岳と呼んでいたが、5万分1地形図作成時の誤記でトマ・オキの二つの耳のことを谷川岳と呼ぶようになった。)の巨大な山肌を正面に見てオジカ沢の頭に着く。小障子、大障子の頭、巨大な万太郎山(1,954m)を経て、縦走路は長く続いていく。毛渡乗越からエビス大黒の頭まで来れば、仙ノ倉は近い。仙ノ倉山(2,026m)は連峰中唯一の2,000m峰である。ここから大きく開けた草原の中に道は飽きずに西に延びていく。平標山(1,984m)から直角に折れ、南下して三国山、三国峠を経て法師温泉に下る。一帯は上信越国立公園の一部をなしている。
「谷川岳の発見」
谷川岳が、近代スポーツ登山の対象として眺められ、かつ登られたのは、ずっと遅く、大正になってからであり、1920年、大正9年7月のことで、登頂者は日本山岳会の藤島敏夫と森喬の二人であった。土地の剣持政吉を案内人に頼み、土樽から茂倉岳を登り、一ノ倉、谷川岳を経て、天神尾根を谷川温泉に降った。当時1920年といえば、日本各地の有名な高山はすべて登り尽くされており、槍、穂高さえ、積雪期にすでに登られていた。谷川岳がこれほど立ち遅れていたのは、交通の不便さにあり、清水トンネルの掘削に9年3ヶ月の歳月を費やし、上越線が開通したのは昭和6年9月のことである。大正11年日本山岳会、小暮理太郎、武田久吉、松本善二らにより開拓が始まり、大正15年7月、松本善二をリーダーとする3人の日本山岳会のパーティーが、蓬峠から法師温泉への初縦走に成功した。鉄道建設のテンポとともに登頂の時代は終わり、積雪期登山とバリエーションの時代となった。
「谷川岳岩場の発見」
1927年、昭和2年3月大島亮吉、大賀道モ(この文字は日が丙の上にきます。パソコンになく漢和辞典に同字とあり、不適当と思いますがいれておきます。)は、谷川温泉をベースにスキー、アイゼンを使い、天神尾根から冬季谷川岳初登頂をなす。同年大島はマチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢、芝倉沢の岩場を偵察、7月にはマチガ沢本谷の初登攀を行う。慶応大学山岳部の部誌「登高行」に「主として谷川岳の岩壁の下調べに行きたるなり、総ては尚研究を要すべし、近くて良い山なり」を残す。大島の谷川岳に注いだ情熱は数年後になって開花し、谷川岳隆盛の発端となったのである。大島亮吉は翌年3月に前穂高北尾根で29歳の若さで遭難死している。


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セルフレスキューについて(7月17日)

5月21日(日)に谷川岳マチガ沢で栃木県南地区山岳協議会のセルフレスキュー講習会に参加しました。参加団体が分担して内容を担当してお互い技術の向上を図ろうとするもので、ここ数年続けています。それなりに進行し、大内理事長に指示、指導を仰ぎながら講習を進めています。今年は急雪壁の登下降技術、サラシを使った搬送訓練、負傷者を背負った登下降者の確保訓練、小山は基本的な雪上のコンテニアスクライミング(アンザイレン法)、確保について担当しました。これらの講習会で少しづつ知識が蓄積しつつあるという状況です。昨年は山岳連盟の岩場でのセルフレスキュー講習会に何名か参加し、会に持ち帰り、会員に内容を報告、練習を行いました。しかし、伝える方も未熟でうろ覚えのところが多くなかなかうまくいかず大変です。
セルフレスキュー(自力救助)は事故が起きた際に第3者に頼ることなく、当事者パーティーの体力、技術、経験、手持ちの装備で最善を尽くして救助を行うこととあります。登山技術の習得と同列レベルで重要な技術の一つです。しかし、得てして誰もピンチに陥る事を自分には関係ないものだと思いがちで、救助技術は専門の救助隊員が知る技術と考えがちです。しかし、これからは万一事故が起こっても、まず自分たちで対処出来るようにして行く。これからは最低限、助かるための装備と技術を身に着ける必要があるようです。
       3人でのコンテニアスクライミングは瞬時の確保体制難しい。練習に励む。






5人で救助。1人がサラシで負んぶ、それを4人でバランスよく引く。技術と体力必要。



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エーデルワイス日記(3月27)
職場の異動も予想され、多少融通がきく、今年の冬はスキー技術の上達に的を絞りました。塩原エーデルワイススキー場のシーズン券を買い、思い切ってスキースクールのメイト会員にもなりました。その為、今年の冬はせっかく買った冬靴もアイゼンも履かずじまい、アイスハンマーも使わずじまい、夢中で行っていたロッククラフト通いも封印しました。それなりの成果はあったと思います。また、案の定、先日の内示で異動も決定しました。
12月は6日、1月は6日、2月は3日、3月は9日間の都合24日間出かけ、内4日間は吹雪で滑れず実質20日間で午前中プラス午後1,2時間程度の練習でした。他にハンターマウンテンに2日、サエラスキーリゾートに1日出かけました。
スキースクールは都合15日間、半日講習を受けました。どうも我々が中高年の為か講師はなんと驚きの79歳の元スキー学校長が殆んど担当しました。当然ながら滑っている姿からはとても年寄りとは思えません。もう一人は50歳前の講師でカービングの特性を中心に丁寧に教えてもらいました。しかし、言われてもすぐ欠点が矯正できるわけでなく、なかなか上達は出来ません。なんといってもお手本の滑りをずっと見られ、カービングの二本のエッジラインは実に見事でした。当初の自分の滑りは昔の膝前、手前、谷足荷重のずらすスキーで、じっちぁん先生に盛んに昔のスキーを捨てろ、と言われてもへたくそながらの30年のスタイルは簡単には直りません。その点和代は癖が無くスムーズにシュプールに二本のラインが残せていました。繰り返しの練習のたまもので、シーズン後半には少しずつ昔の1軸から2軸のスキーに、スキーを動かすのでなく、身体を動かすスキーに修正されてきたと思います。
力試しのバッチテストは2月12日に吹雪のハンターマウンテン最上部で行われ2人で受験し、3月5日はエーデルワイスで私1人が受験しましたが、2回とも平均64点で不合格でした。2級の合格率は3〜4割、1級は1〜2割という確率で、一定のレベルに達していないと合格は無理、決して甘くないというのが印象でした。3月5日の検定では1級の不整地小回り(コブ斜面)を見ましたが、合格は非常に困難、マスターするのに一シーズン位かかるのではと思いました。私はやっと21日に2級に合格しました。2回の不合格は多少こたえましたが、ほっとしました。
エーデルワイスへは往復200km、25日間で5,000kmを車で日帰りしました。おかげで首のこりがひどく、整形外科で鎮痛薬を処方され飲んでいます。3月21日を最後に今年のスキー練習は最後で、これから山スキーに挑戦です。とりあえず、3月25日には最高のお天気のなか神楽峰〜雁ヶ峰に行きました。ゲレンデの滑りはまあまあ、しかし、山の中での滑りは難しい。しかし、2人とも昨年よりは大分楽しめました。今後、谷川熊穴沢から西黒沢、月山〜石跳沢、至仏山その他、上天気の時に行きたいと思います。


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教訓(2月1日)
この項は山、スキー等私たちに関心があり、気がついたことについて述べてみたいと思います。
12月19日(月)エーデルワイスに向かう。大雪で塩原のガススタンドで燃料を補給したが、積雪でスリップし出られない。店の人がスコップで雪をかいてくれてやっと脱出し、チェーンを着けて日塩道路を進んだ。ETSが働き、FR車ながら頑張るが新湯温泉より前であきらめる。帰りには坂道でバスが立ち往生し渋滞していた。チェーンを外そうとしたら1つ無くしていた。帰りに石井によってスコップを買った。
失敗の続きで12月24日(土)に再びエーデルワイスへ、道の駅手前で凍結していた道路でETSを過信し減速したらスリップした。そこは中央に分離帯があり一方通行車線で路際の雪の壁にぶつかり270度回転した。途中これは天地逆さになるかなと思ったがうまい具合にならなかった。ああ良かったと思ったら、後続の車が接近してきて、あと5cmのところで止まり、人も車も傷つかなかった。運転手お互い思わず顔を見合わせ、ホット胸をなで下ろす。時間帯が早く、車が少なく、一通の道路が幸いした。車は一部プラスチック部品を交換したものの、ほとんど傷つかずラッキーでした。スキー場は非常に寒く、2,3回滑って帰る。今市から宇都宮に向かう杉並木で車が横転していた。事故はいつ起こるかわからないし、また怪我の事を考えると人をむやみに同乗させるのは考えものかもしれないと思った。
ところで、車を買い換えました。ほぼ9年乗った私のベンツは多少くたびれては来たが、洗車すれば(手洗いのみ)なかなかのもので、特に長距離ドライブは得意で、1泊2日の1000キロ走行でも腰痛持ちに関わらず疲れない、このシートのできは最高でした。人間はわがままで贅沢、よりいいものが欲しくなる。スキーが入れられ、フルタイム四駆、2800cc、ETC、ドイツ車、色々考えてフォルクスワーゲン・パサートワゴンV6 4MOTIONにした。コストパフォーマンスの高さと、モデルチェンジ直前で価格の割安感で決めた。日光湯元とエーデルワイスの雪道を走ってきたが、今のところは期待通り、しかし、高性能に油断は禁物、先のスリップを教訓としたい。






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